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「75歳までの稼ぎ力」
「75歳までの稼ぎ力」
                                              平田 周
 
 今月初めから書き始めた、高齢者の生活についての単行本の原稿がようやく脱稿した。タイトルは、『65歳からの稼ぎ力』にしようか、『75歳まで可能な稼ぎ力』にしようか迷っている。いずれにしろ、65歳から以降の収入をどうして得るかがテーマである。まだ出版社は決まっていない。2,3の出版社に原稿を送って読んでもらうことにした。
 
 年金だけではもう暮らせないといわれる。しかし、高齢者の暮らしがどうなっているのか。内閣府が出す『高齢社会白書』と、厚生労働省が作成する「年金制度基礎調査』などがあるが、これらの統計からは、本当の姿が見えてこない。『高齢社会白書』は、高齢者の2012年の貯蓄残高が平均で2,209万円だとする(総務省の「家計調査」から)。ちょっと信じがたい数字だが、3,000万円以上が25.9%
いることになっているから、これを除外して平均すれば1,000万円台に落ちる。しかし、これはあくまで平均であって、1,000万円以下は、100万円刻みで、まったくフラットなのである。6.4%100万円以下を除けば、どの階層も3%台となっている。これでは、平均をとっても意味がない。
 
 それよりも混乱してしまうのは、厚生省の「年金制度基礎調査」の数字を見ると、まったく違った状況が見えてくる。こちらのほうは、年金受給者3,000万人から無作為に2,300人を抽出して調査したものだから、全世帯を対象とする「家計調査」より精度は高いはずである。
 これによると、年金受給額が200250万円という人で、貯蓄残高が300万円未満とう人が33.1%を占めている。500万円未満にすれば45.1%で、ほほ半数を占める。これなら実態に近い感じがする。
 
 では年金として、年にどれだけもらっているのか。公的年金・恩給の年額受給額が50100万円が19.4%100200万円が28.8%200300万円が36.6%300万円以上は8.4%しかいない(年金受給額が低い女性を含む)。
 年金以外の収入の比率はどうか。6569歳で51.1%7074歳で34.5%7579歳で23,3%となっている。どのようにして、この収入を得ているのだろうか。就業状況を調べた数字がある。
 就業している人(不詳を除く)は6569歳で38.4%7074歳で27.3%7079歳で15.8%である。このうち自営業は6569歳の14.9から、84歳までの11.7%までほとんど変わらない。
 
 政府は昨年4月から60歳から65歳までの雇用継続を企業に義務づけた。第1年目では、約3/4が雇用継続を選んだようだ。年金受給をしていないことが条件だが、給料は7割以下になると聞いている。
 年金を受給している高齢者の生活に必要な支出額は、平均で月額24.8万円、7579歳でも23.7万円となっている。年額にすれば300万円程度である。
 
 これでは豊かな老後生活とはいえない。しかし、「高齢社会白書」が載せる内閣府の調査では、暮らし向きについて「まったく心配がない」が18.0%、「それほど心配がない」が53.0%となっており7割強の高齢者は暮らしを心配していないと書いている。病気、家の修理、そして災害に遭遇すれば、生活は成り立たなくなる。しかも、インフレになれば、貯金・年金で暮らす高齢者はひとたまりもない。
 75歳まで稼ぐしかない。何歳になっても収入があればいかに有利か。しかし、65歳をすぎて雇用してくれる会社はほとんどないであろう。早くから老後に備えて蓄財をしておけというアドバイスもあるが、投資は簡単ではない。自営業は強いが、60歳から事業を始めるのは大変である。
 どうすれば稼げるのか。それを考えるヒントになることを書いてみた。
 
 いま50代の人たちが高齢者になる5年、10年先は、どうなっているのであろうか。年金受給開始は70歳になっているに違いない。転職経歴者であれば、退職金は少ない。少子化ではあるが、雇用はどうなっていることか。給料は減り、会社での仕事は現役時代のような居心地の良さはないであろう。
 65歳からの雇用は期待できない。さりとて定年後に事業を起こすのは大変である。投資もリスクが高い。とにかく稼がなければならない。
 働くことが原罪の罰というキリスト教の信仰を持つ欧米人は、そのような生活を軽蔑するに違いない。だが、日本人には働いている姿のほうがよく似合う。健康にもよい。
 
 本の最後をこう締めくくった。
「年をとり群れを離れて独り、他の者の縄張りを避けながら、注意深く、わずかな餌を求めて歩く一匹の野獣を思い浮かべます。自分しか頼りになるものはないのです。群れと共に生きることはもう終わったのです。何日も餌にありつけず、空腹を我慢しながらも、じっとチャンスを待つライオンや白熊を私は尊敬します。そこには、自然の尊厳があります。人間もまたそうあるべきなのではないでしょうか。」
 

 
 
author:平田 周, category:平田周, 08:20
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1年を振り返って
 

1年を振り返って

                      平田 周

 

 去年の暮、同じタイトルでブログを書いた。確かな手ごたえがつかめぬまま期待だけで、沖縄での新たな活動を開始した。1年が経ったいま、思ったとおりには事はす進まなかったが、やはり1年は1年である。海の埋め立てのように、土砂を投げ入れても、波に流されるものが多く、はたして海面に大地が顔を出すようになるのだろうかと心細いが、飽かずに土を入れていれば次第に水深は浅くなっていく。

 ようやく地面が水の上に現れた。まだ軟弱な地盤で、大きな建物は無理だが、小さなものならなんとかなりそうだ。小さくても、ちょっとしゃれた建物にしよう。そんなことを思う。

 

 海外に向けて日本の情報発信をする基地をつくるという計画は、資金不足で実現しなかった。沖縄県に理解者・賛同者が得られない。いずれわかってもらえるだろうが、1、2年先のことだと思う。それまでに、ほかが始めなければよいが。電子出版分野に進出している企業20社近くを訪ねて提案したが、どこも関心を示さなかった。しかし、どこか知名度のあるところが始めるとわかると、にわかに騒ぎ出すのがわが国企業の習わしである。どこかが始めれば負けである。Eコマースは一番でなければならない。

 わが国の本や雑誌記事、論文などを英語に訳して海外に売るとなると、いちばんの障壁は翻訳である。コストが高く、よい翻訳者が少ない。自動翻訳プログラムを使ってネイティブ並の英語に翻訳するシステム EJ-TRANSを開発してあるので、他者が出てきても大丈夫と踏んでいるのだが。

 

 この翻訳システムを応用して、画期的な英語学習法を考えた。EdeMという名前をつけた。「英語でメール」をもじったものである。要は、日常出す日本語のメールを英語にする練習である。

 自動翻訳プログラムを使うので、現在の英語力は問われない。誰でも、明日からできる。自動翻訳プログラムを使うのでは、英語の学習法にはならないではないか。そういう批判が出てくるであろう。もし自動翻訳プログラムに誤訳がなく実用に使えるのであれば、それほど便利なものがあってこれを使わない人はいないであろう。計算の仕事をするのに、電卓を使うのをずるいという人はいない。

自動翻訳を使って英語にするのがインチキかどうかは別にして、幸か不幸か、現在の翻訳ソフトはすべて不完全である。和文英訳のものであれば、誤訳率は40%にもなる。だから、誰も実用に使う人はいない。

 しかしである。翻訳する日本語を英語的な構造に直しておいてやれば、ほぼ正確に訳されることを確かめた。例を示そう。

 

「景気がよくなりそうな気配はなかなか個人にまでおりていないような気がしますが、先日有楽町の量販店に行った時、購入するのに長蛇の列で、ここまで待ったのは最近なかったような気がした。」

 

Although I felt that it was not getting down even to an individual easily for the sign that business is likely to improve, when it went to the volume retailer in Yurakucho the other day, I am a long line and felt that these days did not have having waited so far to purchase.

Yahooのフリーソフト)

 

ひどい英語だが、これを次のように日本語を直せば、ちゃんとした英語になるのである。

 

「経済は回復しつつあるといわれる。しかし、個人レベルではそれは感じられない。私は先日有楽町のスーパーマーケットに行った。商品を購入しようとする多くの人が一列に並んでいた。これほど長く私が待たされたのは、最近初めてである。」

 

The economy is said to be recovering. However, it is not felt at the personal level. I went to the supermarket of Yurakucho the other day. Many people who were going to purchase a product stood in one line. This is the first time that I was kept waiting such for a long time recently.

 

英文としてはまだ稚拙だが、意味はなんとか伝わる。文法にもまずまずである。この英文をできればネイティブに違和感がないようにブラッシュアップすればよい。

 

 英語的構造の日本語に直すことが英語の勉強になる。またコンピュータが訳した英語を直すことも英語の腕を上げる練習になろう。この例は、そもそも元の日本語が良くないことにも原因がある。英語的構造に直すことをEJエディテイングと呼ぶが、これがわかりやすい日本語を書く訓練にもなるという副次的な効用もある。

 

 このEdeMという革新的な英語学習法は、沖縄で琉球大学を含む産官学で生まれた。これを沖縄で、企業のほか、小学校の先生や自治体の人たちにも使ってもらう準備をするとともに、来年4月からは東京からスタートして全国に広める考えである。

 日本人の英語力を高めようと、文部科学省はさらに英語の授業を小学校の低学年にまで広げる計画を発表した。彼らが社会に出て英語を話すのは20年、30年先のことである。英語力が必要なのは、現在の大人ではないのか。

 しかし、社会人にいま英語の勉強をしろといっても無理なことはきまっている。だが、EdeMを使えば、明日からでも誰もが英語の文章を書くことができる。しかも、それは内容がシンプルな初級英語ではない。実際に仕事や生活で使う生きた文章なのだ。

 メールの文章を英語にする練習は、英会話に通じる。相手の話すことを理解することも大事だが、日本人に求められるのは、自分の意見を述べることであり、情報を発信することだ。

 

 今年はなんとかここまで準備できた。新しい年の初夢には、これが大ブレイクするのを見たいものである。

 

 

author:平田 周, category:平田周, 16:37
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沖縄から暑中お見舞い申し上げます。
 

沖縄から暑中お見舞い申し上げます。

                           平田 周

 

 世界中の気候が異常になっているようです。それが炭素社会によってもたらされたものなのか、地球の周期的変化の中のか変動かどうかはわかりませんが。とにかく、1時降雨量が100ミリを超すのもめずらしくなくなりましたし、気温40度にも驚かなくなり、日本中が35度を超す猛暑日になる日も続いています。

 沖縄では夏の気温が30度を超える日は少ないとい聞いていたのに、今年は連日33度以上の日が続きます。それでも、東京の最高気温よりは低い。ただ、最高気温と最低気温の差があまりないのが辛い。朝のきりっとしたさわやかさが感じられません。日差しの強さは、直射日光を浴びると痛いほどで、街を歩くときも自然と日陰を選らびながら歩きます。しかし、日陰に入ると、海風がいつも吹いて心地よさを感じます。

 

 車社会の沖縄では、日中、街を歩く人はわずかです。車を持たない私は、那覇空港から首里城まで10キロメートル余りを走るモノレールを便利に使い、複雑なバス路線にも慣れてきました。多くの路線が、1時間に2本程度しか走らず、乗客は学生とお年寄り。それでも2、3キロメートル歩くことを覚悟すれば、ほぼどこにでも行けます。レンタカーするよりも安上がりだし、安全。

 

 家族を神奈川県に残し、一人暮らしで、沖縄をグローバライズするプロジェクトを仕掛ける仕事は、定常業務がなく、部下もいないので、人に会う機会が限られます。先月、1週間、誰にも会わない日々を経験しました。騒々しいビジネス社会では考えられないことですが、貴重な経験でもありました。

 なぜ生きているのだろう、何をなすべきなのかなど、いろいろと考えてしまいます。持参していたニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を読み直し、自分も「超人」になれるのではと思ったりしました。

 その一方で、先日、1週間東京に行ったときは、5日間を20の企業訪問と個人面談、夜は友人と酒を飲むという日程で埋めました。私自身の働き方がゲリラ豪雨のようです。

 

 遠くて(東京から1500キロメートル)近い(飛行機で2時間半)、旅費もオフシーズンなら那覇・成田間が片道5000円の沖縄から、謹んで暑中お見舞い申し上げます。日頃、私の拙いブログに目を向けていただいていることを深く感謝致します。沖縄にあって私の独り言として書いているつもりですが、やはり他の人に話せるのは楽しみです。

 どうかお盆休みを有意義にお過ごし下さい。

 沖縄にはお盆がありません。正確には、旧暦の7月13日〜15日を旧盆といい、今年は8月19日〜21日がそうですが、あまり意識にないようです。というわけで、今日は、沖縄セルラー電話の北川社長に会って協力を求め、明後日は、プロジェクトについてのプレゼンテーションを県からするよういわれています。ゆっくりと時間が流れる沖縄のリズムがだいぶわかってきたような感じです。

 

author:平田 周, category:平田周, 06:07
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明けましておめでとうございます。
 

明けましておめでとうございます。

                      平田 周

 

ブログって、自分のために書いているのか(日記のように)、人に読んでもらいたい気持ちで書いているのかよくわからないが、私の場合、情報を共有し、いっしょに考えてもらうといった気持ちである。今年もどうかよろしくお願いします。

 

大みそかの昼前に那覇空港を飛び立って羽田空港に着いたのは午後2時だった。強いテールウィンドもあって2時間を切っていた。ネットで探して購入した全日空の45日割引はなんと1万円。東京から大阪に行くよりも安いし、早い。なのに、誰もが沖縄というと遠いと思うし、沖縄にいると東京のことを忘れてしまいそうである。さりとて、沖縄が外国だという気持ちにもならない。不思議な所である。この感覚が、沖縄の基地問題の底辺に横たわっている、ウチナンチュウとヤマトンチュウの感情の差のように思える。

 

例年、元旦には、神奈川県の北西部に位置する丹沢山塊の表玄関にあたる大山に登ることにしてきた。深夜に登り始めて、頂上に真夜中に立つ。大勢の登山者が列をなして登るのが嫌いなだけで、別段、ご来光を拝みたいというわけでもない。しかし、物音ひとつしない、真っ暗な中、誰もいない登山道を登っていると、なんともいえない感情に襲われる。孤独、不安、静かさ、荘厳さ、希望・・・空気の重さを感じる。

今年は午後2時頃に登り始めた。階段の多い登山道は何度登ってもきついし、嫌なものである。階段は、足の歩幅を強制する。だから疲れる。仕事も勉強も同じようなものだと考える。自由を束縛される苦痛を思う。落ち葉を敷き詰めたようななだらかな登山道らしい道に来るとほっとする。

中腹にある大山阿夫利神社下宮から1252メートルの頂上までさらに2時間近くかかる愛嬌のない嫌な道を敬遠して、中腹を横に巻くように続く登山道を歩いて見晴台と呼ばれる尾根の一角に出た。ここからは山道らしいなだらかな登りで大山頂上まで1.5キロメートル、1時間半ほどだが、午後3時たったし、強風だったせいもあって、ここから日向薬師に向かう道を下った。誰ひとりいなかった。積もったブナやカシワの落ち葉を踏んでの道は心地よかったが、木立は強風にあおられて騒ぐ音に緊張する。

九十九折りの道を下りながら、もし転倒して骨折でもしたらどうするだろうなと思ったりする。携帯電話は便利である。しかし、近年、遭難すればすぐに携帯電話を掛け、救助を求める本格登山者の振る舞いにはどうも納得いかない。もともと自然の中に、そうした文明の利器を持ち込むことに違和感がある。リスクをおかして登るのなら自分で責任をとって、自力で降りてくるべきではないか。そうした覚悟がないから遭難してしまう。では、いまの自分はどうするだろう。水筒も、アメ1つも持たず、万一、救助でも頼めばさぞかし無謀だと叱られるに違いない。もしかしたら、救助隊に多額の費用を払わなければならないかもしれない。となれば、とにかく転倒しないで注意深く下山することだ。

 

山道が終わって車道に出た。少し行った小川沿いに、ちょっと洒落た造りの建物があった。クワハウス山小屋という看板が目についた。外から、赤々と薪が燃えるストーブに心を惹かれ、中に入った。クワハスというから風呂が売り物だ。入浴料は800円とある。地元で採れた木の実で作った飲み物もあったが、コーヒーを頼んだ。ストーブとコーヒーのぬくもりに人心地ついた。女の子が入れてくれたコーヒーがうまかった。家族で経営しているのだという。

 

沖縄本島には山らしい山はない。最高峰は島の北端に位置する与那覇岳で、標高503メートルである。なかなか面白そうなので、一度登ってみたいと思う。ほとんど登る人はなさそうだが、調べていたら、沖縄のタクシー会社のホームページにこの山のことが詳しく紹介されていた。
http://moritaxi.ti-da.net/e2917009.htm

 

山を登るのは苦労とよろこびが交錯するヘンなものだが、生きることもまた同じかもしれない。箱根駅伝をテレビで見る。走ることの苦しみを超えて彼らを夢中にさせるものは何なのだろうかと思う。

author:平田 周, category:平田周, 05:50
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1年の終わりに
 

1年の終わりに

                          平田 周

 

 今年2月に初めて沖縄の地を踏み、以来、毎月1回沖縄を訪れて、いろいろな人にあった。地元企業との提携を考えたが、思うようにいかず、10月単身で乗り込んだ。それから2カ月、やはり地元にいなければわからないことを多く知った。沖縄人が自称するウチナンチュウという見えない壁も実感した。客人をもてなす心と、よそ者を阻害する気持ちとが並存する。ムラ意識である。

 

 GLOBALIZE OKINAWAプロジェクトを標ぼうし、具体化を画策する。沖縄大学の英語の先生から、globalizeは何を意味するのだと尋ねられた。国際が、日本という地に立ってオ海の向こう(off-shore)に日本とは違う国があると感じる意識であるのに対して、球形の地球(globe)の上の自分が立っている地点から地球全体を意識する感覚だと答えた。納得してもらえたようだった。

 ビジネスにおけるグローバリゼーションとは、外に向かってモノやサービスを売って稼ぐこと、そして地球上のすべての地点の人たちと協働することである。

 

 沖縄が経済自立を果たすには、沖縄が提供できるモノやサービスを日本の他府県や海外に売ることで利益を得る必要である。県は企業誘致に熱心だし、それなりに成果を上げている。しかし、企業誘致では、沖縄の外には売ることができない。海外輸出も、東京本社の管轄である。沖縄に落ちるお金は雇用と地方税だけであり、地元の人たちの財布からお金が出ていくから貿易なら赤字である。これでは経済自立は覚束ない。県外、海外にモノやサービスを売って利益を得なければ意味がない。

 特産品を外に売るのは容易だが、農業も製造業もないに等しい沖縄に売るものがあるのか。誰もが思い、力を入れているのは観光資源である。これは立派な売り物である。それ以外に何があるのか。IT産業の振興にずいぶんと公的資金を使ってきたが、県外に売るものはあるのだろうか。データセンターの利用やコールセンターのサービスはそれに該当するが、市場は限られている。

 

 米軍基地のある沖縄の一つの資源として、「英語」がある。沖縄の人が英語能力に長けているわけではない。学生については、全国最下位である。しかし、基地で働いた経験者は多く、なんとなく英語の雰囲気が沖縄にはある。

 これをまず利用することだ。コンピュータを使う和英翻訳法 EJ-TRANSを開発したので、これを武器に使う。英語を活かせる産業分野としては、情報と教育と観光がある。

情報については、海外に向けて日本の本や報告書を英語にして売る電子出版(JapanLit OKINAWA)を考えた。独自の英語学習法(EdeM)を開発、これを県外に普及させれば外からの収入になる。沖縄で英語を学習するツアー(ELIOT)を東京で募集しよう。

 

この3つのプロジェクトをスタートさせた。それぞれ提携先を決めた。琉球新報社、沖縄大学、スカイホールディングス(サザーンツーリスト)。沖縄米国商工会議所が協力してくれることになった。アメリカ人は、イエス、ノーがはっきりしていて気持ちがいい。日本人は自分一人で決定できない。断るにしても、相手を傷つけまいとするのか、自分の気持ちの表明なのか、歯切れが悪い。ではノーなのですねと確認しなければならないほどだ。

とにかく2カ月で陣立てはできた。

JapanLit OKINAWAの実証サイトができた。http://www.japanlit.org をご覧いただきたい。福島が原発事故の英文報告書などが、ワンストップで読める。

author:平田 周, category:平田周, 10:31
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沖縄の雲
 

沖縄の雲

                      平田 周

 

 沖縄の気象は、本土とは違ういろいろなことがあって興味深い。先日も、東京が最低気温4度というとき、沖縄は18度だった。いまでも日中は25度にもなるほどである。

 しかし、体感温度というのは不思議である。早朝仕事をしていて、寒くてしょうがない。温度計を見ると20度ある。最も快適な温度のはずなのだが、寒い。セーターを重ね着した。

 今年、2月初めて沖縄を訪れたとき、出発する日の朝は気温4度で寒かった。それでもコートは邪魔になると思い、スーツ姿で出かけたが、沖縄では温かいと感じた。では、どうしていまはこんなに寒いと感じるのだろう。

 夏からずっと25度前後の気温に慣れた体は、5度も低い温度に戸惑うのだろう。寒いところから来れば沖縄はすごく温かいところだと思う。

 寒いなら、厚着をすればいいのだが、温かいところだからという思いがつい薄着で通してしまうこともある。暖房機をつけるのも躊躇する。

 この時期、那覇の街を歩くと、半そでのかりゆし(アロハシャツのようなもの)を着ている人がいる一方で、厚手のオーバーコートを羽織っている人もいる。さまざまなのである。それがよけい季節感を混乱させる。

 

 元来、普通の人が快適だという18度から20度くらいの温度が私は苦手である。うんと寒ければ暖房をつけるし、暑ければクーラーを使う。しかし、20度前後はどちらも使いにくい。体のセンサーが寒いのか、温かいのかわからなくなって混乱してしまう。

 暑いのであれば思いきって暑いほうがいいし、寒いのなら零度くらいのほうが体が引きしまる。性分として、極端のほうが好きなのだ。中途半端や玉虫色が大の苦手である。

 

 余談が長くなったが、沖縄の街を歩きながら面白いなあと思うのは、雲である。いつも空に、いろいろな形をした雲が浮かび、流れていく。雲を見ながら、あれは龍に似ている、これはブタだ。ライオンを思わせるものもあった。先日見たのは、ザリガニに似ていた。大きなはさみが頭の先にあった。雲を見ているだけで楽しい。

 東京では見られなかった空である。おそらく島だからであろう。沖縄本島は細長い島で、東と西は海に面しており、最も狭いところでは3キロメートルしかなく、那覇でも海から海までの距離は10キロメートルほどである。

 まるで大洋を走る大きな船の上にいるような感じがする。水蒸気を含む空気が島にぶつかりいろいろな形の雲をつくるのだろうか。朝は雲一つない快晴だったのに、午後になると白い雲が千切れちぎれになって空を漂う。そして、灰色の雲があるなと思ったら、まもなくしてにわかに雨が降り出す。かばんにはいつも小さな折りたたみ傘を入れておく。しかし、ひどい降りでも、少し雨宿りしていれば晴れてくる。イギリスの天候も似たところがある。

 

 

 

author:平田 周, category:平田周, 03:14
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沖縄に活動拠点を移す
沖縄に活動拠点を移す
                        平田 周

 沖縄那覇市に活動拠点を移すべく居を移してから、今日でちょうど1カ月が過ぎた。飛行機でたかが3時間程度、東京にいるのと大して変わらないだろうと気軽に考えていたが、住まいを決めたり、仕事ができる環境を整備したり、本格的に活動ができるようになるまで、思った以上の時間を費やした。

 家族ともども移り住んだわけではないし、老後を温暖な地で過ごそうという田舎暮らしを求めたわけでもない。東京でできないことを沖縄で実現してみたいという“野望”である。野望というとなんだか大げさだが、私にとっては、まだ誰も登ったことのない山に初登頂してみたいという素朴な望みのようなものである。それは、研究者にも、スポーツ選手にも共通することであり、起業家もまた同じような思いを抱く。
 あるとき、学生に、「望」という語がつく熟語を思いつくまま書かせてみたことがある。人望、志望、欲望、願望、希望、失望、絶望など、数多くある。「希望」というのは、希(まれ)な望みだから、かすかな望みだ。たくさん上がった中で、いま若い人たちに最も必要なのは「野望」だというオチをつけた。野望は若い人にふさわしいが、長く生きてもなお満たされるものがなければ、広い外の世界に未知を求めるのは悪くはなかろうと思う。これは理屈ではなく、本能に近い問題である。誤解を受けやすいが、いい言葉である。

 「沖縄に行く」と言ったら、誰もが驚いた。山形に住む、徳島に活動場所を移すと言っても、誰もあまり驚かないであろう。北海道というとちょっと関心を引くだろうが、「北海道の大自然はいいね」という言葉が返ってくるだろう。なぜ、沖縄だとかくも違うのか。確かに距離は離れている。といっても、東京から稚内まで1000キロ、鹿児島までもほぼ1000キロなのに対し、沖縄までは1500キロと、わずか500キロしか違わない。
 やはり離島のせいなのだろう。陸続きでないこと、車で行けないという差は大きい。しかし、それ以上に、やはり文化や風土の違いが影響しているのではないかと思う。事実、ここ沖縄にいると、東京が距離以上に離れた存在に思える。

 海で隔たっているということは、トラック輸送ができない(フェリーは別にして)から輸送費がかかる。だから、引っ越すといっても、荷物は多く持っていけない。そのことが、私に大きな変化を与えた。
 これまで都内で何度か事務所を移したが、多くの書類や書籍、事務用品、事務機器、家具はほとんど持って行った。しかし、沖縄となると、そうはいかない。運賃がかかる。大きなもの、重いものは現地で買うほうが安い。
 自分が作った報告書など、古い書類にはいろいろ思い出が残る。普通なら捨てがたいところだ。破棄したとたんに自分の歴史が消えるような思いを抱く。しかし、持っていけないとなれば、捨てるほかない。
 津波に襲われてすべての思い出を喪失した東北地方の人たちのことを思った。自分が死んだとき、整理する人は、すべてごみとして処理するであろう。だったら、思い切って捨てればいいのだ。そう自分に言い聞かせると、大胆になれた。
 ついでに、羽田を立つ日、私は死んだことにしよう。過去と決別する。そしてその翌日の10月24日、蘇えることにした。イエスの蘇えりのような大それたことでは毛頭ないが、もしかしたらニーチエが言った“超人”になれるかもしれない。

 多くの人は、もう一度人生をやり直したいと思うのではないだろうか。それは叶わぬことだが、家族とも友人とも離れ、一人海を隔てた沖縄の地に住むことで、過去との決別ができることを知った。
 もちろん家族も、友人も、仕事上の知人も皆残っている。しかし、その関係は新たに定義できるように思った。これまでとは、一線をかくすことができた。高齢者が引退して、田舎暮らしをするというのとはまったく異質である。

 これから何が起きるか未知である。生まれ変わったのだと、一人いい気分に浸っているわけにはいかない。生きるためには、仕事を見つけなければならない。会社から命じられて、赴任したのとは違う。資産があって、それで生計が立てられるというのでは、やはり“生まれかわった”という実感はないだろう。どうやって食べていくかという“動物の原理”に従わなければならない。
 荒野の中の小さな丘に立ち、遠吠えするオオカミの姿を想像した。それは友を求める声か、これからどこへ向かおうかと大地に向かって叫ぶ雄叫びなのだろうか。
author:平田 周, category:平田周, 05:12
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