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前代未聞の英語学習講座EdeMが公開
前代未聞の英語学習講座EdeMが公開
http://edemschool.com
                   平田 周
 
 翻訳ソフトを使って英語の読み書きができればいい。そう考えてからもう30年が過ぎた。当時まだ日本語の翻訳ソフトは開発中で、市販されているものはなかった。その頃から、英文和訳では、多義語の英語(1つの単語にいろいろな意味がある)が問題であること、和文英訳では、日本語と英語の文章構造が違いすぎること(日本語では、主語や目的語を表示しなくてもよい、長い形容が修飾される単語の前にくることなど)が障害になると考えた。
 前者の場合、多義語の英単語は訳さず英語をそのまま残す、後者では、日本語を英語的な構造の文章に書き直しておく。これしか解決の方法はないのではないかと思い、『日本語で英語を書く』(東洋経済新報社 1984)を書いた。
 しかし、完全自動翻訳をめざす翻訳ソフト開発の現場では、聞き入れられなかった。
 
 あれから30年経ったいまも、自動翻訳(機械翻訳)は実用になっていない。ひどい誤訳をすることは、多くの人が経験済みである。実用化に最も近いのは、限られた用途に適用するパラレル・コーパス(対訳)という考え方である。
 2020年のオリンピック開催に向けて、業界で熱い関心が寄せられているのは、外国人観光客のための多言語案内である。スマホに音声で質問すれば、希望する言語で答えが聞ける。これは、観光客が使うと思われる表現を限りなく多く収録し、これに相当する訳文をつくり、対応させて引き出せばいいだけである。翻訳の間違いはゼロである。表現文例を増やすだけでよい。要は力仕事である。これは医師と患者との問診会話にも使える。
 しかし、コーパスを一般的な翻訳に使うことは2050年になっても無理だろうという気がする。あらゆる表現を集めて、対応する訳文を用意するというのは、容易ではない。ビッグデータの技術を用いて、既存の文例を集めてくるという努力は、Googleをはじめいろいろな企業が努力している。例文が増えるたび精度は向上するのは確かだが、時間がかかる。
 
 コーパスを使うGoogle翻訳(和文英訳)は、例文があるときには、驚くほどいい訳になるが、なければまるきりダメである。一方、クロスランゲージ(Yahoo翻訳)は従来からの文法解析をベースにしているので、誤訳は比較的少いが、驚くほどいい訳にはならない。日本語の直訳である。
 わが国の自動翻訳の世界では、もはや文法解析による翻訳ソフトは放棄している。完璧をめざすことは不可能とみてあきらめた。
 
 自動翻訳開発者が犯した間違いは、無人工場をめざす産業ロボット研究者のようなものだといえよう。単一の作業であれば、ロボットは完璧に仕事をこなすことができる。しかし、選択する情報が多くなり、あいまい性が高くなるにつれて、人間の手を借りなければならなくなる。ロボットだけで生産する完全自動工場は実現していない(1980年代には、IBMなどが研究した)。
 翻訳という仕事を単一作業とみるか、情報の複雑性から工場的なものと考えるかである。後者であれば、マン・マシンのハイブリッドなプロセスとしてとらえるべきである。私は、最初から翻訳という完全自動工場は不可能とみていた。
 モデル的には、自動翻訳というロボットを中心に置いて、前処理工程で日本語を英語的構造の日本語に書き換え、後処理工程では英語に堪能な者(ネイティブが自然な英語に書き直す)という一連のプロセスから成る。後工程は、一般公開されるものや、公式の文書でなければ、省略することが可能である。
 
 この考えの延長から、翻訳業ではなく、日本語を英語に表現したいという個人が(英文のメールや報告書を書く場合)、英語力が不十分でも、自由に英文を書く方法があれば助かるだろうと思った。ビジネスの世界では(一般生活でもそうだが)、電話に代わってメールが圧倒的に重要になった。日本人はもっと世界に向けて発信をせねばならない。
 英語を必要とするような業務に携わっている人は、メールくらい英語で書ける。しかし、英文報告書を書くとなるとどうであろうか。海外勤務になって、日本の経済情勢や業界事情を英文にしたレポートを地元の関係者にい配れば評価は高まるであろう。年功序列制をとるわが国では、海外事務所の長には、必ずしも英語ができる人が任命されるとはかぎらない。
 辞書を使うのだから、より便利な翻訳ソフトというツールがあれば、これを使わない手はないはずだ。
 
 さらに考えてみたら、これが英語学習にとても役立つことがわかった。英語的構造の日本語に直すこと自体が英語の特徴を理解することにつながる。これは、英語脳をつくることになる。いくら英語を覚えても、英語脳がなければ外国人から受け入れられないし、説得することもできない。このことを学校で英語教師は教えていない(英語で表現すること自体教えていないのだが)。
 それ以外に、英語の勉強になるプロセスがここに含まれていることに気づいた。パソコンやスマホが訳した英文には、いくら日本語を英語的にしても、完全な英文とはならない。その間違いを直すことが英語の勉強になる。生徒といえば、先生から課題を与えられ、間違いを直される立場である。しかし、コンピュータが生徒であり、自分が先生になったような気分になることがわかった。
 先生というのは、教えながら自分が学んでいる。生徒に対して有利な立場にあり、上から(客観的に)見るから間違いがわかる。学校で優秀な生徒は、他の学生に対する優越感がますます自信を深めさせ、勉強への興味を高める。
 
 このような考えから、翻訳ソフトを支援ツールとする英語学習法EdeMを公開講座として世に出すことを決めた。
 内容は、英語を教えるのではない。翻訳ソフトが間違わずに英訳できるような日本語(英語的構造の)の書き方である。30ほどのルールがある。しかし、ルールどおりにやればいい訳が得られるというわけにはいかない。習熟を必要とする。それを、手間はかかるが、添削による個人指導で行う。昨今、eラーニングというのが流行りだが、あれは全然人を感じさせない。現在の英語力や適性、目的などの個人差が大きい英語学習では、効果をあげるなら個人指導しかない。                                     
  
 意義ある企てだと思うが、知られなければ、何もできない。今日、膨大な情報の中に埋没して、気づかれること、知られることは実に難しい。面白い英語学習法があるよと、多くの人につぶやいてもらうことを期待する。
 
author:平田 周, category:外国語, 06:28
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差別には、「シャベツ」という読み方があった

差別には、「シャベツ」という読み方があった

                       平田 周

 

 英語の文章を訳しているとき、differentiateという言葉に出くわして、「差別化する」という訳語を使いかけて、一時流行ったこの「差別化」という言葉は最近使われなくなっていることを思い出した。

 確かに、人種差別や、男女差別、学校差別など、いい意味にはあまり使われない。辞書には、「区別する」「識別する」「差異化」「特殊化」などの日本語が並んでいる。だが、どうもぴんとこない。

 

 「差別」という言葉は、仏教では、一般に用いられている意味とは異なる使い方がされることをある僧侶から聞いたことがあった。確か「シャベツ」と言っていたように思ったので、広辞苑で調べてみた。あった。「しゃべつ(差別)」の項には、「[] 万物の本性が平等であるものに対し、それぞれの個物が具体的な差異をもっていること」とある。

 まさにこの意味だ、と思った。

 

 しかし、「差別」と書いたのではだれも「シャベツ」とは読んではもらえない。さりとて「しゃべつ」では意味が通じない。念のため、Wordで「しゃべつ」と入力してみたが、漢字は表示されなかった。

 同じ漢字でも読み方の違いで意味が異なるというのは、ほかにもあるに違いない。そのような例は、仏教用語に多いはずだ。

 哲学者の中島義道氏に尋ねたことがある。どうして哲学について書いた本は難しいのかと。彼は、明治時代の先人たちは、仏教についての教養が深く、外国語を日本語にするに際して、仏教用語を援用できたのだという。現代の私たちは仏教語の素養がないから、それに源を発する哲学書の文章が理解できない。

 

 外国語が日本に入ってきて外来語には、それぞれ時代背景を示している。漢字が大陸から入ってきた時代、オランダ語が全盛の頃、そして英語がとって代わった。いまわが国で使われるカタカナ語はすさまじい数である。

 以前紹介したことがあるが、英文ビジネス誌の記事にある単語を調べたら、そのうちの50%がすでにカタカナ語として日本語になっているものだった。どの記事でもほぼ同じくらいの比率である。科学雑誌でも同じだった。

 

 英語起源のカタカナ語が問題なのは、多義語である英語にはさまざまな意味があるが、日本語はそのうちの1つかし使わないのが流儀である。そのため、ボードといえば、板とか厚紙を連想するが、会議や連盟、食事といった意味は除外してしまう。

 英語のglassには、硝子、窓ガラス、グラス、眼鏡などの意味がある。明治の人たちは、ガラス、グラスというように音で区別する方法を考えた。ストライクトストライキ、コップとカップなどもその例である。

 外来語を単義語の日本語にするのに、日本人はいろいろ工夫したが、明治の人たちと違い、複数ある意味のほとんどを捨てて1つの意味だけにするという手抜きの道を選んでしまった。それが、日本人の英語下手の原因になったことはあまり気づかれていない。

 

 英文和訳の自動翻訳ソフトが誤訳してしまうのは、複数ある意味のどれを選んでよいのかがわからないからで、日本人が英語を苦手としているのと共通する。

自動翻訳を実用的に使うのなら、単語を英語のまま残せばよいのだが、まだ誰もこのことに気づいていないようだ。

author:平田 周, category:外国語, 13:28
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英語脳
英語脳
                    平田 周
 
 脳科学とやらいう言葉が何かと引き合いに出される今日だが、ある思考をする場合にどの部位を使っているかという測定をする実験が盛んである。大分以前のことだが、英語学習について脳の部位の刺激測定の実験をテレビで見たことがある。
 英語学習の初心者は、英語も日本語も左脳だけを使って考えているが、熟達者の場合、日本語は左脳、英語は右脳というように、左脳・右脳を使いわけているとうのである。脳科学のことはまるでわからないが、日本語で話しているときと、英語で外国人相手に説明をしているときでは、どうも発想や思考は別の回路になっているのではないかと思えなくもない。日本語混じりの会話を外国人とする場合、相手の日本語が未熟だという意識もあって、なんとなくぎこちない日本語になる。英語的な思考で日本語を話しているのではないか。
 
 新英語習得法 EdeMで、次のような文例をコンピュータに自動翻訳させた。
 
【自然な日本語】
 メールしてくださったニュース、大変興味深く拝見しましたが、さらに詳しい
ことを知りたいと思いますので、詳細を知るにはどうすればよいか教えていただ
けませんでしょうか。
 
 これをそのままコンピュータに訳させると、次のような間違いだらけの英語になります。
I saw it, but I should do what, or, the news that I e-mailed, would you tell me a more detailed thing very with fascination because I think that I want to know it to know the details?
 
【英語的構造の日本語】 
あなたのメールの中のニュースに私は興味を持ちました。このニュースについて私はより詳細を知りたい。その詳細を知るための方法を私に助言して下さい。
 
これを3種類のフリー翻訳ソフトを使って自動翻訳させると、次のようにかなりによい英語になる。
 
(Yahoo) 
I was interested in the news in your email. I want to know the details
about this news more. Please advise me by a method to know the
details.
 
(Excite) 
I got interested in the news in your mail. I would like to know details more about this news. Please advise me on the method for getting to know the details.
 
(Google) 
I was interested in news in your mail. I want to know more about this newsPlease advise me how to get to know the details.
 
 翻訳ソフトによって優劣はあるが、みな一応、しっかりした英語になっている。
 
 普通の場合、頭の中に文例に示したような内容のメッセージが浮かび、これを英語にしようと思うとき、そのままそれを英語に訳すと、間違いだらけの英語になってしまう。それを「英語的構造の日本語」に直してから英語にすれば、正しい英語になる。その代り、その変換に時間がかかる。
 では英語の熟達者はどうか。外国人と話すとき、最初から「英語的日本語」がメッセージとして頭の中に浮かび、そのままそれが英語になる。
 
 この英語的日本語で思考するのが、私の言う「英語脳」である。しっかりとした英語をスムーズに話したり、書いたりするには、この「英語脳」を持っていることが必要なのだ。
 「英語脳」は、普通、英語がうまくなるにつれて出来てくる。英語力を身につけなければ、「英語脳」はつくられない。
 しかし、頭の中に、「英語的構造の日本語」で直接的にメッセージをつくれるようになれば「英語脳」はつくられることを、EdeMの開発から発見した。英語がわからなくても、日本語で「英語脳」発想はが可能なのだ。
 
 逆に言えば、いくら英語を勉強しても、この「英語脳」ができていなければ、外国人に通じる、あるいは説得できる英語にはならない。「英語的日本語」で表現できれば、自動翻訳は可能であり、通訳が英語にする場合もひじょうにらくであり、相手に正しく意図を伝えることができる。
 学校で英語の教師は、この「英語脳」について教えない。文法ばかり教えるから日本人は英語を話せないのだと批判する。文法なしに英語を教えるには、限られた必要な英会話のフレーズを丸暗記させるほかない。これは外国で生活を通して自然に覚えていく外国語習得法である。
 
間違っているのは、「英語的な構造の日本語」の思考法を教えないからだ。英語的な構造とは、英語の文法である。
 「英語脳」を持つこと。それは英語でなく、日本語で済むことだ。日本語で「英語脳」をつくれば、自動翻訳も使えるし、通訳も容易に翻訳できる。外国人も理解しやすい。「英語脳」ができれば、英語に興味を覚え、英語学習が楽しくなる。
 
 EdeMの受講者に上述した「自然な日本語」の文を、「英語的な日本語」に直してもらった。次のような結果だった。
 
【オリジナルの日本語】
 
昨日のミーティングで、次回は私が当番で話をすることにきまりましたが、どのようなテーマがよいか、迷っています。ご関心のあるテーマがありましたら、教えていただけませんか。
 
【受講者からの解答】
 
(1) 昨日、会議が行われました。そして、私が次回、スピーチをする当番になりました。しかし、私はどんなテーマについての話をするべきかを迷っています。
もし関心のあるテーマがあるなら、それを私に教えて下さい。
 
(2) 昨日のミーティングで、時価の当番は私に決まりました。私は話す内容について、どのようなテーマがよいか迷っています。もしあなたが興味のあるテーマがあれば、教えて下さい。
 
(3) 昨日、ミーティングをしました。次回、私が話しすることに決定しました。
しかし、私はどんなテーマが良いか迷っています。私が関心のあるテーマがあれば教えて下さい。
 
(4) 昨日私はミーティングに参加した。その私が参加した会議では、次回のミーティングで私が順番で話すことが決まった。だが、どのようなテーマについて話せばよいのか、まだ私は決めていない。関心を持っているテーマがあれば、私に教えてほしい。
 
(5) 次回のミーティングは私が当番と昨日決まりました。つきましてはテーマを募集致します。興味や関心のあるテーマがございましたら、提案いただけませんでしょうか。
 
 これらの解答のいずれも、自動翻訳させると間違った英語、あるいは意味が不明確なところがある英語になります。
 私の模範の「英語的日本語」は以下のようです。
 
【模範解答】
昨日のミーティングにおいて、次回のスピーカとして私が選ばれました。何の話題について話すべきか私は迷っています。あなたが関心を持つ話題は何ですか。もしあなたが持っていれば、私はそれを知りたいです。
 
In the yesterday's meeting, I was chosen as a next speaker. I am at loss what topic I should talk about. What is the topic that you are interested in? I want to know it if you have it.
 

日本語としてあまり違わないようだが、コンピュータに英訳させてみると、明らかに違う。受講者の解答と模範解答の日本語文を比べてみると、意外に面白いことがわかってくるはずだ。
 
グローバル人材とは、「英語脳」を持つ人と定義してもよいのではないか。
 
 
 
author:平田 周, category:外国語, 05:37
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EJエディティング
EJエディティング
                        平田 周
 
 市販されている自動翻訳ソフトの誤訳のひどさは、ほとんどの人が経験している(英文和訳が主だが)。
 たとえば、次の英文を和訳させてみよう。
 
 He had to wash many glasses, which were used at a party.
 
Google
彼はパーティで使用された多くのメガネを、洗浄しなければならなかった。
 
Yahoo
彼は多くのグラスをかきまわさなければなりませんでした。そして、それが党で使われました。
 
 英単語glassには、ガラス、コップ、グラス、眼鏡(複数)、鏡、窓、partyには、パーティ、集まり、団体、分隊、仲間、政党、党派、当事者など実にいろいろな意味がある。文脈からその意味が決まるのだが、コンピュータにはそれがわからないのである。
 文章構造的には、英語はロジカルだから直訳すれば、ぎこちない日本語にはなるが、意味は通じる。
 
 一方、日本語を英語に訳す場合は、その逆になる。コンピュータは膨大な単語を記憶している。しかし、構造的でない日本語を、文法形式を重視する英語に直すところができない。
 
たとえば、次の日本文を英訳させると次のようになる。

「メールしてくださったニュース、大変興味深く拝見しました。」
 
Google
News who have e-mail, I saw very interesting.
 
Yahoo
The news that I e-mailed was very interesting and saw it.
 
 主語が明示されていないこと。「くださった」「拝見した」という2つの動詞の関係がよくわからない。それが誤訳の原因である。
 では、この日本語を次のように書き直してから訳させるとどうなるだろう。
 
「あなたが私に送ったメールを私は読みました。その中に書かれていたニュースは私の興味を引きました。」
 
Google
I have read the e-mail you sent me. News that was written in it drew my interest.
 
Yahoo
 I read the email that you sent to me. The news written in that attracted my interest.
 
 これなら、ネイティブ並とはいかないが、りっぱに通じる。

 
【EJエディティング】 自然な日本語を、英語的な構造の日本語に書き直す。その作業を「EJエディティング」と名づけて、変換のルールをつくった。これを教えようというのが私のアイデアである。
 いまさら英語を勉強するには時間がない。仕事に追われてとうていその気力はない。始めたとしても、初級英語では仕事に使える英語には到底ならない。そのような人たち、とりわけ管理職の人たちや、経営者、政治家には朗報のはずだ。
 
 前回、報告したように、これを日経BP社主催のヒューマンキャピタルでの展示とセミナーで初めて公表した。英語の問題そのものが来場者の関心を引かないが、ブースに立ち寄ってくれた人たちはみな驚いていた。とくに英語が出来る人(通常はこの人たちは新英語学習法に冷たいのだが)が、大いに評価してくれた。
お前の言うとおりだと、握手してくれる人さえいた。
 
 確かに、斬新な英語学習法だと思う。「英語学習法」と呼んではいけない。英語を学習するのではないのだから。「英語習得法」がいい。
 しかし、これを評価しない人たちがいる。英語の先生たちである。英語はもっと苦労して覚えなければならないと考えるのであろう。
 これに対して、私はセミナーにおいて、次のようなたとえ話をして説明した。
 
 電卓が世間に広まったのは1970年代半ばである。今日、電卓を使わずに計算する人はいない(エクセルが自動計算してくれるが)。便利な道具は使わない手はない。
 
 アルプスにケーブルカーが設置された。誰でもが簡単に2000メートルの高所に立って、壮大な山々の景色を満喫できる。本格的な登山者は、自然が壊されたと反対するであろう。しかし、自分の足では登れないような体力がない人でも大自然を楽しむことができる。詩人や写真家は創作に新たなひらめきを得るであろう。中には、山に魅せられて、登山を始める人もいるかもしれない。
 
 英語指導において、弱者を考慮する対策はない。英語教師はもちろん、誰もが英語を「勉強」しなければならないと考える。文部科学省は、学生、とりわけ中東教育までのことしか扱わない。英語ができる人は、英語は自分でやるべきだと言う。
社会に出た人たちの英語の問題を考える官庁はない。グローバリゼーションの時代だ。日本人はもっと世界に向けて意見を言わなければならない。グローバル人材の育成が最重要課題だ。これらの言葉を政治家や経営者からどれほど聞かされたことか。しかし、わが国には、外国語政策がまったく存在しないのである。その点、言語の問題で悩むEUの取り組みには目を見張るものがある。
 
 
author:平田 周, category:外国語, 10:18
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ついにEdeMが東京で初舞台

ついにEdeMが東京で初舞台

                    平田 周

 

 私のブログで、これまでも英語の問題を何度もとりあげた。Group J&Eとは、JapanEnglishについて数人の仲間が意見を語り合う場所として始まったものだ。EdeMについても紹介したことがある。管理職の人たちの英語問題についてはかなり深く問題を追及したこともある。

 

 EdeMとは、Eigo de Mailの意で、日常書くメールを英語にする翻訳法である。翻訳には、自動翻訳プログラムを使う。だから、英語ができない人でも英語でメメールを書いて出すことができる。

 「なんだ、自動翻訳を使うのか、あれはダメだよ」という声が返ってくる。たしかに、普通に書かれた日本語を、市販のソフトに訳させたら意味不明の英語、誤りだらけの英語が出力されて、まったく使いものにならない。このまま外国人に見せたら恥さらしになる。

 誰もがそう思っている。とくに英文和訳では、訳出された結果が日本語だからそのひどさはすぐにわかる(英訳は、英語がわからないと間違っているかどうかがわからない)。

 

 しかし、入力する日本語を英語的な構造にしておけば、直し方によるがほぼ完璧な英語にできる。なぜか、誰もこのことに触れなかった。私は、1984年に、『日本語で英語を書く』(東洋経済新報社)を書き、日本語を英語的な文章構造に書き直しておかねば、自動翻訳は実用化できないと指摘した。当時はまだ自動翻訳ソフトは完成していなかった。―

 もし翻訳ソフトが完成して、訳された英文に間違いがあれば、それを日英両方がわかる人がチェックして、直さなければならない。大量にコンピュータが訳出したら誰がそのチェックをやるのだというのが私の疑問だった。コンピュータがフィニッシュしなければならない。それにはどうしなければならないか。

EdeMについては、次のところで内容がわかります。

http://www.universal-content.net/edem/


 

 

 私は、女子大の英文科の学生さんを2つのグループに分けた。1つのグループには、私に外国から来ていた英文の手紙を高校生になったつもりで日本語に直訳してもらった(英語的構造の文章)。それをもう1つのグループに英語に訳してもらったのである。そうすると、かなりに元の英語に戻った。とくにいくつかの単語(学生が思いつかないような)を英文のままにしておけば、ほぼ元通りの英文になる。

 女子大生をコンピュータの自動翻訳プログラムに見立てての思考実験だった。

英訳する日本語を英語的な構造の文章にしておけば、コンピュータがフィニッシュできるはずだ。そう確信した。

 このことを当時、自動翻訳の開発者に示し、認めてほしと思って提案をした。しかし、これに耳を貸す人はいなかった。

 2つの理由があった。1つは、わが国の翻訳業界では、翻訳依頼された日本語原稿に手を入れることは絶対してはならないというタブーがあることである。表現がこれによって歪められる恐れがあることを恐れるのである。もう1つは、自動翻訳のプログラムの開発者は、みな自然言語処理の専門家で、難解な日本語を英語に訳させるアルゴリズムに夢中だった。

 

 私はそれ以上の介入をあきらめて、自動翻訳の世界から離れた。しかし、2005年ころ、自動翻訳(専門的には機械翻訳という)の大御所である長尾真氏(元京都大学学長、国会図書館館長)が、文法解析による自動翻訳をあきらめ、代わりにパラレル・コーパスへの転進を宣言したのである。

 パラレル・コーパスとは、英語と日本語の対訳である。たとえば、「タクシーを呼んでください」という表現に対して、「Please call a taxi for me.」という日本文を出す。その逆もある。これならコンピュータが訳した英文に間違いは起きない。しかし、翻訳する日本文の表現がまったく同じというわけにはいかない。現在、数十万の表現の対訳が準備されたと言われる。観光とか、医師と患者の問診会話というふうにシーンを限定すれば、実用性は十分にあるが、あらゆる文章表現をこなすことはできない。

 現在、提供されているフリーの翻訳ソフトは、Googleのようなコーパス型のものと、Cross Language (Yahoo)など文法解析型のものとが入り混じっている。

 

 いずれも誤訳率はほとんど変わらない。しかし、まだ誰も原文の日本語を根本から直しておけばいいと主張している人はいないように思う(主語をはっきりさせるとか、短い文章にしておくなどの助言はあるが)。

 翻訳業界では、依頼者の日本語原稿に手を入れるのをタブーとする信仰は未だ変わっていない。

 しかし、自分が書く日本語原稿を自分が直すのなら問題はない。英語に訳し易い日本語を書けばよいのである。

 

 自分が出すメールを自動翻訳を使って英語にする。間違いの少ない確かな英語に訳すには、英語的な構造の日本語にしておけばよいのである。日本語を日本語に直すテクニックを覚えるのはさほど難しいことではない。そのノウハウ(ルール)を確立した。それをオンラインで、添削指導によって教えるという事業モデルを、沖縄で実験しながら、このほど完成させた。

 その東京での最初のお披露目の場所として、日経BP社が主催するヒューマンキャピタル2014を選んだ。

 

 ヒューマンキャピタル展は、東京国際フォーラム(千代田区丸の内)で7月16日から3日間開かれた。入場者は15,000人ほどだった。

 ブースの前を大勢の人が通るが、「英語」という言葉にはほとんどの人が関心を示さない。それでも50人程度は、パソコンの画面を見せながらの説明を聞いてくれた。英語に自信を持つ人たちは、これが正論だと大いにほめてくれた。自動翻訳がこれほどうまく使えることに驚いていた。英語に自信のないという人は戸惑いながらも、これが使えるという印象は持ったようだった。

 セミナーは定員80名だったが、ほぼ満席だった。ここは興味を持っている人が集まるから手ごたえがる。話が面白かった、勉強になったとう人が大勢いた。

 考えたことが受け入れられるベースはあると確信した。ここから先はマーケティングである。それをどのようにするか。その戦略を考えなければならない。力のある会社と提携をしなければならない。

 

 その有力な候補も、今回のヒューマンキャピタル展で見つかった。これまでも2年間も相手を探し求めていたが、どこも乗ってこなかった。グローバル人材育成の会社は、英語を教えることはやらないという。企業向けの語学教育をやっている会社は、すでに独自の方法を提供しているので不要だと断る。そのいずれでもないところは、英語は苦手だと言って取り合わない。

 どうなるかはまだ不確かだが、もしかするとまとまるのではないかという予感がしている。

 

 

author:平田 周, category:外国語, 09:48
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ツイッターを英語で書けたら
ツイッターを英語で書けたら
−社会人の英語利用環境−
                           平田 周
 
 文科省は、小学校からの英語学習を推進し、企業は英語力のある学生の採用に関心が高く、大学側も就職支援のため英語指導に力を入れている(主にTOEIC受験対策)。しかし、社会人になればほとんどの人は英語を忘れる。学校を出てから英語の勉強を続けているという人はごくわずかであろう。
 理由は簡単である。日本で暮らしていて英語力は普通には必要ないのである。
英語ができなくても生活上困ることはないし、組織の中の昇進においても英語力が評価されることはない。第一、管理職の人たちは英語ができなくても、ちゃんと仕事をしているわけだし、高い給与を得ているわけだから、部下たちが英語を勉強せねばと思うはずがない。英語を話せるようになりたいという人は多い。しかし、多忙な日、それに割く時間的余裕がない。
 
 文科省は、学生の英語力増進については責任を持って施策を進めている。経済産業省はグローバル人材育成を課題として持っているが、英語についてはまったく関心がない。先日、経済産業省の中堅幹部に会ったとき、この問題に触れたら、とたんに不愉快な顔になり、英語はやろうと思う人が自分で勉強すればいいのだと言った。エリート官僚ならその自覚はあるのかもしれんが、一般社会人にそれができるとは思えない。
 省庁の中で、真剣にグローバル人材育成を所轄の仕事としているところは皆無だし、社会人の英語力増進の施策は皆無なのが実情である。企業がやるほかないが、上層部の意識が高まらないかぎり、組織全体には広がるわけはない。
 
 どうすれば問題を解決できるか。ツイッターを英語で同時発信したらどうか。
わが国のツイッター利用者は320万人に達しているといわれる。世界では1億1千万人を超える。もし英語でツイートすれば、外国人からのフォローは格段に増えるであろう。海外の人たちにとって日本は魅力である(とくにクールジャパン)。政府広報やマスメディアの報道では満足しない。もし膨大な数の日本人ツイッターが英語で発信できれば、巷のニュースや話題として関心を持つ外国人は少なくないはずだ。経済産業省がクールジャパンのサイト(Cool Japan Daily
よりもよほど影響力は高いし、コストもかからない。世界は、日本人も庶民の声や意見や、街の中の情報を求めている。
 
 英語でツイットなどできるわけないではないか。自動翻訳ソフト(インターネットにあるフリーソフト)を使えばいいではないか。ところが誰もが承知しているように、この翻訳は間違いが多すぎて使いものにならない。ときには日本語を直訳して海外で大笑いになったという事例もある(「なまはげ」をraw boldと訳したなど)。笑われるよりも、意味不明の英語では悪い評判が広がるのは間違いない。
 しかし、日本語をあらかじめ英語的な構造の日本語に直しておけば、おかしくな英語にすることが可能なのである(ユニバーサルコンテント蠅ノウハウを確立した)。この英語に訳し易い日本語を「EJ」と呼び、この方法で自動的に和文英訳するシステムは「EJ-TRANS」と名づけられている。
 若者たちにかぎらず、ツイートする人が、英語力がなくても、自動翻訳で英語にして発信擦れば、日本からの発信力は一気に高まるはずである。それには、おかしくない英語にできる「EJエディティング」を覚えなければならい。しかし、それは、日本語を日本語に直す作業だから、英語力は必要ない。よく指摘されるのが、自動翻訳された英語が正しいかどうかが判断できないではないかという質問である。これは、中学英語程度の知識があればよい。EJエディティングの講習を受けて、EJエディティングの腕を磨けば、まず間違いのない英語になる。
 
 具体的に、どうEJエディティングするのかを例を示しておこう(自動翻訳ソフトは、Yahoo Honyaku)。
 
【原文】
きつねうどんを食べている。英語にすると、fox noodleだが、きつねの肉が入っているわけじゃない。じゃどうして、きつねなの? ちょっと説明が難しい。きつねの好きな食材が入っているから。
 
【直訳】
I eat fox udon. It is fox noodle, but the meat of the fox is not contained when I make English. Then is why, and is a fox; it is slightly difficult explanation. Because the favorite ingredients of the fox are contained.
 
【EJ】 
私はいまkitsune udonを食べつつある。udonはヌードルの一種である。kitsuneはきつねを意味する。それはきつねの肉ではない。なぜfox noodleとわれわれは呼ぶのか。私にとって、その説明は難しい。キツネの好きな食べ物が食材の1つとして使われている。
 
【訳】
I am now eating kitsune udon. udon is a kind of noodles. kitsune means a fox. It is not meat of the foxes. Why do we call it fox noodle? For me, the explanation is difficult. The favorite food of the fox is used as one of the ingredients.
 
 これなら十分通じるし、日本を知らない外国人にすれば興味を持つに違いない。
 英語を使う機会がないから、社会人になるとせっかく習った英語が消えてなくなってしまうのだ。英語を話すチャンスをつくるのは難しい。しかし、書くこと、とりわけツイッターならいつでも気軽に書ける。これで若い人たちが英語を身近なものとして感じるようになれば、それこそがグローバル人材育成のはじまりではないか。政治家のセンセイたちもツイッターで情報発信している人が増えている。それなら海外に向けて意見を述べるべきではないか。自動翻訳を使えば、誰でも英語でツイートできる。
 
 
 
author:平田 周, category:外国語, 02:33
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外国人が見る日本人の英語
外国人が見る日本人の英語
                    平田 周  
 
 那覇市で開かれた英語教育を考えるフォーラムの講演会を聞きに行った。講演者の一人、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の副学長広報担当のニール・コールダー氏は、The importance of English communication in a global societyという演題で話した。
 スコットランド出身で、世界のあちこちで日本語を教えてきた経歴の持ち主である。
論旨は、世界中で英語がコミュニケーションの手段になっており、そこで使わられる英語は完全ではないないが、それによって心が通じ、交流が生まれている。だから、日本人のみなさんも正確な英語を話そうと思う必要はなく、恥をかこうがとにかく勇気を出して話すべきだというものだった。
 
 コールダー氏だけではない。英会話学校の外国人講師たちは、みな日本人は正確に英語を話そうと思って口を開かないのだと思っている。しかし、それは違う。英語と日本語とは文章構造においてあまりに大きな違いがあり、それが思考にも影響していることを、日本語を母語にしない彼らは知らないのだ。
 構造的な英語で発想してそれを構造的に自由度の高い日本語(単語だけでも文章になる)にするのは容易だが、その逆がいかに困難かは日本語を母語にする者にしかわからない。語彙を増やしたり、表現力を覚えたりする前に、英語脳をつくらねばならない。英語に習熟してくるとこの英語脳がつくられるが、初心者にはそれがない。
 
 アメリカのビジネススクールでは、誰よりも早く手をあげて質問をすることが先生から注目され、よい成績がとれる。英語脳であれば、My question is …と言っておいて、言いたいことを積み重ねていけばいいのだが、動詞を文章の最後に置く日本語では、言うべきことをイメージしなければならない。それが質問をするのに遅れをとらせる。間違いを気にして遅くなるのではない。
 フォーラムのパネルディスカッションで、何人かが質問したが、質問なのか意見なのかがわからない。くどくど説明するのだが何を言いたいのかがわからない。司会者も時間がないので手短にお願いしますと注意するが、まだ話は止まらない。日本語の場合、メッセージを頭のなかで整理できないと、話が脱線し、支離滅裂になる。だから日本語はロジカルでないという妙な理屈になるのだが、動詞が文章の最後にくる、形容を被修飾の語や句の前に持ってこなければならない(だから、英文解釈だと後ろから訳していかねばならなくなる)という日本語の構造に責任があるのである。
 日本語は「ふろしき」みたいなものだとすれば、英語は「コート掛け」である。コート掛けなら誰が掛けても同じようにきちんと並ぶが、ふろしきは包み方で上手下手が出る。
 
 日常会話に必要な短いフレーズであれば、外国人にも教えられるが、内容のあるメッセージをどうすれば英語として表現できるかは無理である。それができるのは日本人の英語教師であろうが、英文解釈を教えるのは簡単でも、英語で文章を書くことを教えられる人は多くないであろう。間違った英語を教えるわけにはいかない。
 コールダー氏は、間違った英語でも気にすることはないという。だがそれは、オーラルコミュニケーションの場合である。書かれたものが、文法的な間違いもあるひどいものであれば、外国人だから仕方がないとはいえない。失笑を買うであろう。ましてこれがビジネスとなれば、英語の拙さではすまされない。
 ビジネスや政治折衝など仕事で使われる英語は、交流と違って、戦いである。相手の主張を退け、こちらの言い分を通さなければならないことが多い。意味不明の英語では聞く者はいないであろう。軽蔑される。
 
 間違いを恐れず、恥を覚悟で話せというのは「交流」であり、「オーラルコミュニケーション」なら許される。しかし、仕事となればそうはいかない。ではそのような本格的な英語をどうすれば教えることができるのかということについては、今回の英語教育を考えるフォーラムで語る人は残念ながらいなかった。英語を一生懸命学び、努力を続ける英語の達人だけがそれができるというのでは問題の解決にはならない。
 

 
author:平田 周, category:外国語, 05:34
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管理職と英語(6)
 

管理職と英語(6)

自動翻訳を使う英語学習法

                     平田 周

 

 ここまで書いたら、では具体的にどうすれば英語と無縁の管理職の人たちが英語力を高めることができるのだという問いに答えないわけにはいかないであろう。その前に、もう一度、管理職のための英語学習法は、次の用件を備えていなければならないことを思い出してほしい。

 

(1) 現在の英語力の個人差が問題にならないこと

(2) 学習や演習に時間がかからないこと

(3) 講習終了後も継続して苦労なく学習できること

(4) 習った英語力が実務に直結したものであること

(5) 学習の成果が見えるかたちで示されること

(6) 語学のためだけでなく、グローバル人材の資質になること

(7) 学習費用が安いこと

 

(4) の「習った英語力が実務に直結したものであること」というのは、初級や入門英語ではないということを意味する。最初から上級でなければならない。もう英語は忘れてしまったというのに、いきなり上級英語を苦労もしないで身につけることができる方法があるというのか、と疑問に思われるに違いない。英語を必要としない部署にいるのに、実務に直結した英語というのもおかしい。

 

手っ取りばやくタネ明しをしよう。毎日書くメールの中から適当なものを選んで、英語にするのである。そんな難しい和文英訳ができるわけない。訳すとなると1時間もかかって仕事の支障になってしまうと言われるかもしれない。

大丈夫。英語に翻訳するのは、コンピュータなのだ。YahooExciteなどネット上にある無料で使える自動翻訳サービスを使うのである。

と言えば、あんなもの誤訳だらけで実用にはならないよ。間違いだらけの英文メールを他人に送ろうものなら恥をさらすだけだと。翻訳ソフトを使って英語にするなってインチキだ。英語力を身につけることにはならないではないか。

確かに、現在市販されている翻訳ソフトでも、開発から四半世紀が過ぎたというのにひどい誤訳をする。和文英訳でいえば、誤訳率は4割にもなる。これではプロの翻訳者は誰も使わず、翻訳会社では全面拒否であるのも無理はない。間違いを直すのなら、最初から人の手で翻訳したほうが効率的である。

しかし、ほとんど誰も気づいていないうまい方法がある。オリジナル日本語をコンピュータが訳し易い日本語に直しておけばよいのである。日本語と英語の文章構造があまりに違いすぎるから、自動翻訳ができない。いくら努力しても、この問題は克服できないことがわかっている。しかし、その違いすぎる日本語を、英語的な構造を持つ日本語にしておけば、私の方法では誤訳率は5%以下になる。

 

そう言われてもピンとこないと言われるだろうから、1つだけ例を示そう。

 

【原文】

来週木曜日、午後1時から3号会議室において、当営業本部の来年度予算に関する説明会を開催しますので、課長クラスの人は全員、お集まり願います。
 

【上記も自動翻訳Yahoo

Because I start the briefing session about the budget at 1:00 p.m. in a 3 meeting room in the next fiscal year of our business headquarters on next Thursday, all the people of the section manager class, please gather.

 

コンピュータはかなり混乱している。原文の日本語をを次のように直すと、誤訳はほとんどなくなる。

 

【調整日本語】

われわれは来週木曜日、我々の営業本部(Marketing Department)の会議を開催するであろう。議題は来年度予算についての説明である。会議は午後1時から、3号会議室において始まる。課長クラスの全員出席することが期待されている。

 

【調整日本語の自動翻訳】

We will hold a meeting of our business headquarters (Marketing Department) on next Thursday. The agenda is explanation about the next fiscal year budget. The meeting begins at 1:00 p.m. in a 3 meeting room. It is hoped that all the members of the section manager class attend.

 

 しかし、若干間違いや不適切な表現があるので、採取的に手を入れる。この部分は、英語力の差が出るが、文法的に間違いがなければそれでOKである。

 実は、調整日本語の書き方が下手だと、間違いが起きる。これを直すのも英語の勉強になる。人(コンピュータ)の間違いを直すのは、優越感があっていい気分である。教えることは最高の勉強法でもある。

 

【最終的に手直しした英文】

We will have a meeting of our Marketing Department on next Thursday. The agenda is explanation about the next fiscal year budget. The meeting will begin at 1:00 p.m. in No.3 conference room. All of the section managers are expected to attend the meeting.

 

 英語を書いてみただけでは、実用性がない。といって、英語でメールを出すわけにはいかない。そこで、日本語の下に英語をつけて送ることが社内で了解されていればよい。それを読むことで勉強になることもあるし、英語のできる人であれば、受け取ったメールの英文に間違いがあれば直してあげるのもよい。

 

 どのように調整日本語を書けばよいか、それはノウハウでもあるが、この方法自体をビジネス特許として申請しておいた。しかし、個人が自動翻訳プログラムを使ってどんどん英文を書いてもらうことを抑止するものではない。どのように日本語を調整しておけばコンピュータがうまく訳せるかを試行錯誤で試すのは楽しいものである。それをやっているうちに、英語表現のくせがわかってくる。

 
 自動翻訳ソフトを使って英語を勉強するというのは前代未聞かもしれない。翻訳をコンピュータにやらせるのはインチキだという意見に対しては、こう答えている。日常、数字の計算をするとき、計算機を使うのはインチキですか?

 

author:平田 周, category:外国語, 07:01
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管理職と英語 (5)
 

管理職と英語 (5)

部下の英語力を高めるのは管理職の責任

                       平田 周

 

 管理職の人たちが英語ができなくてはならないかどうかの問題はさておいて、管理職がやらなければならないことがある。英語は不要と割り切っている人もこれだけはやってほしい。会社としては、管理職の必須義務に入れてもよいくらいである。

 それは何か。部下の英語に対するモチベーションである。会社としては、新卒採用にあたって英語力を求める傾向が一段と強まっている。TOEICの高い点数を期待する。しかし、せっかく採用した新入社員の英語力は、英語を必要としない部署に配属されてみるみるうちに低下していく。中には、英語に興味があり、また将来必要になると英語の学習を続ける人もいるだろうが、多くは多忙と怠惰のため英語は放棄してしまうのが普通である。考えれば、現在の管理職の人たちも同じ道程をたどってきた人たちである。

 

 まずいことに、配属された部署の上司たちは英語ができなくてもべつだん困ることはないし、現に役職者に昇進してバリバリと仕事をしているのを目にする。英語なんか必要ないのだと思うに違いない。将来的には必要になるかもしれないと思っても、現実に流されやすいものである。

 では、何のために採用時に人事部は英語力のある人を採ったのだと考えてしまう。もっといえば、大人になればほとんどの人が使うこともなく、必要も感じない英語を、義務教育で教えるのだろうか。

 数学や理科、古典、歴史なども、学校で習ったものが知識として残っているものはごくわずかであろう。しかし、それらは個人の知性、あるいは教養として身についている。では、英語も教養を高めるものと考えれば、忘れてしまっても勉強した意味はあったのではないか。

 たしかにそういう面はあった。とくに昔は、英語といえば英文学の先生が教え、教材も文学作品が使われた。しかし、近年は実用性が強調され、教養としての英語は捨て去られた。実用性を主目的にするのであれば、成人し、仕事の中核を担うようになって、英語が使えることを想定しているのではないか。入社試験に必要な英語なら、教養としての英語のほうが望ましいのではないか。

 

 わざわざTOEICの点数が高い者を選んで採用した人事部は、その能力が持続されることを期待しているであろう。持続は、個人の意識と努力次第だと割り切っている。しかし、日常業務にも必要なく、昇進査定にも関係ないと慣れば、ほとんどの人は英語力の研鑽は放棄する。まして、職場の環境は英語に関係ない。むしろ英語の勉強をしているとわかれば、異分子扱いされる場合もなくはない。上司たちは、英語ができないことをべつだん悔いてもいないし、困ってもいない。

 その一方で、会社はグローバル人材が必要だと叫んでいる。まことに矛盾する風景がそこにある。

 理屈はともかく、せっかく持っていた英語力を持続し、さらに磨いてくれることに会社も、人事部も反対ではないはずだ。むしろ望んでいることであろう。さりとて、全社員に英語の研修を継続的に行うことはできない。

 この問題を解決する方法には、管理職の人たちに、自分のことはさておいて、部下の人たちには、英語力が将来必要になることを説き、英語の学習を続けることを勧めることはできる。自分を反面教師にして、英語はやっておいたほうが有利だぞと部下に語ればよいだけである。

 

 口だけではなく、もう少し積極的に部下の英語学習をモチベートするのであれば、いろいろな方法がある。外国人が集まるパーティなどに行かせるのも手だし、英文ビジネス誌の記事を部下に渡し、次の部署の会合で説明するよう命じることもできる。その記事を材料にして意見交換をすれば効果は高いであろう。

 人事部は、全管理職に、部下に英語学習熱を高める意識を持つことを義務づければよい。その成果を職務評価の一部に入れることも考えられる。企業だけではない。公務員もまた同じである。

 

 おそらくこのような取り組みをしている企業はないのではないだろう。けっきょく、日本にいて、英語が必要だという実感はゼロに近い。昇進にも関係ない。それならそれで、英語力を求める必要はない。なら、なぜ小学校から実用英語を教えるようになり、新卒採用でTOEICの高い点数を求めるのか。成績で差別をつけるためというのではあまりに悲しい。

author:平田 周, category:外国語, 10:12
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管理職と英語 (4)
 

管理職と英語 (4)

ブロークン・イングリッシュならほとんどの管理職は話せる     

                    

平田 周

 

管理職の英語教育について提携を打診するため、東京のある大手新聞社の企画部門の部長という人を訪ねた。そしてショックを受ける発言に遭遇した。

「自分もそうだが、大企業の管理職の人たちは、ブロークン・イングリッシュならほとんど誰でもできるのではないか。私の大学の有人は、私より英語が下手だったが、いまはブロークン・イングリッシュでも海外ビジネスで活躍している。いざとなれば、なんとかなるのではないか」

 

管理職の人たちの英語力を向上させなければ、わが国は世界から孤立するのではないかという私の危惧に対する反論である。日常業務で英語を必要としない管理職がいまさら英語力を身につける必要はないだろうという意見である。

なるほど一理ある。というよりも、これが大多数の人の意見のような気がした。日本人、とりわけ管理職層の人たちが「英語はできます」と答えるようにすることが必要だという私の主張は、強いストレートを受けた。

 しかし、ショックを感じながら、考えた。ほんとうだろうか。

 

 大企業に入社した人たちなら、一流大学をそれなりの成績で卒業した人たちだから、入試の時点では相当の英語力があったであろう。忘れたとはいえ、ブロークンでよいなら必要なことは英語で話せる。日常業務でほとんど必要ないのだから、実際に必要になった人が考えればよいことだ。ブロークンでも、なんとか意思は通じるのではないか。

 そう考えながら、やはり間違いがあると思った。

 

 ブロークン・イングリッシュで通じるのは、日常会話の類である。仕事についてのディスカッションとなれば、きちんと説明はできないはずである。まして意見が対立する場面では、勝ち目はない。商社マンがブロークン英語でも商売ができてきたとすれば、それは有形の製品を売るのが主力だったからだろう。モノがあれば、双方の理解の共通項はある。しかし、無形の商品となれば、説明は容易ではない。これまでわが国は輸出として海外ビジネスを展開して成功してきたが、輸入業者相手ではなく、各国の国内市場に売るビジネスとなれば、必要となる語学力は次元の異なるものになる。

 

 お互いに言葉が通じないで、困っているときは、ブロークンでもなんとか意味が通じればよいだろうが、会議などきちんとした場で、ブロークン・イングリッシュを話せば、品格を落とすことになる。私たちだって、それなりの身分の外国人が間違いだらけの日本語を話すのを聞けば、よい印象は持たない。地位の低い人同士の会話であればそれでよいだろうが、役職者であれば人格を問われる。

 ブロークンでよいというのは、初歩の会話である。まともに話しても相手の発言で遮られてしまうディスカッションの席では役に立つはずがない。

 ビジネスで必要なコミュニケーションの主力は、いまやメールである。英文のメールを書くとなれば、間違いだらけの英語では笑いものになりかねない。話すのと違い、歴然と証拠が残る。

 

 ビッグサイトで開かれていた国際電子出版EXPOに行った。韓国の会社のブースがあった。通訳がいたがてきぱきいかないので、英語はできるかと聞くと、イエスというから英語で尋ねた。なかなか上手だった。アジアで開かれるビジネスショーは、英語になるのは間違いない。

 アジアが1つのビジネス圏になるという。そのとき共通語は英語になるのは明らかである。アジアの要人たちの英語力はしっかりしている。国連に出席している政治家たちがインタビューを受けたときに話す英語は、流暢ではないし、発音はみなお国訛りだが、文法的には実に正確である。けっしてブロークンではない。

 アジア諸国の指導者たちの多くが、海外留学で勉強したせいであろう。わが国でも海外留学経験者は増えてはいるが、役職との相関性が低い。

 

 外国の場合、政治家であれ、経済人であれ、高い役職者が英語ができる。しかし、わが国では英語ができるのは下のほうである。ここに一番の問題がある。

 江戸時代より、外国語に堪能なのは下級武士や医師、学者だった。上の者はそういう人たちをうまく使った。欧米のように、広い知識や情報を持つ者が支配力を持つという階級構造がわが国にはなかった。そのため、そのような新興勢力に地位を脅かされる心配がなく、外国語ができる人が上に立っても、その力を権力として用いることはせず、後輩が外国語力を高めることに力を入れた。通訳を使えばよかったし、文書は翻訳させることで十分だった。

 しかし、いま異変が起きている。各国首脳が集まる会談がひんぱんに開かれ、電話のホットラインさえ設置されている。文書はメールで送られるようになり、インターネットがもたらす情報は圧倒的な量である。いちいち翻訳をしてはおられないし、どれが重要な情報かを瞬時に見抜かねばならなくなっている。英語は下の者にやらせばよいとする日本的習慣や制度が通じなくなりつつある。

 いまその過度期である。あと10年、20年経てば、ずいぶんと違ってくるに違いない。

 

 そのときにどうなるのか。いま30代の人たちがたとえ英語ができたとしても、指導者になるまでに英語力が減退している可能性は高い。経営など実務の力と英語力は相関しない。これからかなりの期間、無秩序な混乱が外国語について起きるように思われる。

 日本人は英語を苦手としているという一般論でとらえられているが、地位のピラミッドが、英語力に関しては逆ピラミッドになっているところに問題がある。それを同じピラミッド構造に変革することは容易なことではない。いまから計画的に何かを実行しなければ、混乱は増すばかりであろう。

 俺はもういい。若い人たちは英語ができるから大丈夫だといえるかどうか。彼らもまた、日常の業務環境の中で、英語力を急速に失っていくはずである。重要なポストに就く人ほど、英語力を維持する時間的余裕がないから、逆ピラミッド構造を正規の形に直すことはできないであろう。

 文部科学省は学校教育が担当である。経済産業省は外国語問題についてはまったく関心がない。厚生労働省は生涯教や失業問題にしか興味がない。広く問題を考えるべき立場の内閣府や総理府も問題を避けている。政府にしろ、企業にしろ、施策を決めるエライ人たちが、みな冒頭に紹介したような考えを抱いているのだろうと想像される。日常英語は必要ない。いざとなれば、ブロークンでも、なんとかなるものだ。重要な会談であれば通訳を使えばよい。どうしても必要だと思うなら、自分で勉強して英語力を身につければよい。

 はたしてそうだろうか。企業が、管理職のリーダーシップや思考法の研修をしているのだから、英語についても企業として考えなければならないのではないか。グローバリゼーション、グローバル人材、英語社内公用語といった言葉が氾濫する時勢なのに、なぜか管理職の英語力は誰も問題にしない。

 

author:平田 周, category:外国語, 08:41
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