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電子出版に挑戦(補遺)

電子出版に挑戦(補遺)

                           平田 周

 

 電子出版の魅力の1つは、誰でも本が出せるということであろう。いま、出版社に本を出したいと編集部に打診しても、9割は断られる。それは以前からそうだったが、それでもほとんどが持ち込み企画だったのに、私自身、20冊もそのやり方で本にしていただいたのは、きわめて幸運だったといえよう。しかし、OKをもらうには、売れることが前提の編集者に気に入られるように書かなければならないから、本当に書きたいこと、自分ノスタイルを通すことができない。

 それでもここ2,3年は、ほとんどダメである。編集者が若くなり、感覚が違うのだと思う。彼らは新しいネタをインターネットやツイッターなどから嗅ぎ付ける。それはそれで、世の中の進化?だから仕方がない。

 

 それほど書きたいことがあるなら、電子出版にすればよい。1冊売れれば、定価の半分くらいが収入になる。残念ながらそれほど売れないのが実状である。それでも、とにかく本にして世に出したという実績をつくるなら、電子出版に限る。

 問題は、どうすれば知られるかということにある。書店であれば、店に入った人が偶然に見つけてくれるチャンスがある。インターネットにはそのような自由閲覧はない。タイトルを知っていて、検索で見つかるというのが普通である。

 

 インターネットの特長の1つは、ユビキタスである。「誰でも、どこでも、いつでも」というやつだ。ところが、これにはマーケティングにおいて1つの矛盾がある。販売者は、広く流布すればそれだけ売れるチャンスが増えると考える。しかし、いつでも、どこでも買えるとなると、すぐに買っておこうという衝動がない。後でいい、と考えてしまう。

 インターネットでしばしば「タイムセール」や「限定セール」を行うが、それは、ユビキタスに制約を設けて購買意欲を高める意図である。

 では、電子ブックの場合、どういう方法があるのだろうか。

 

 特定のジャンルにしぼった書店というのが考えられる。場所をとらないため、どこでも大量に本を置いておいて、読者に買ってもらおうと考える。そうした中で、狭い範囲の特定ジャンルに絞り込めば、それに感心のある人たちが集まる。

 ユビキタスの「誰でも」の反対として、特定の人しか入れない電子書店をつくることも可能であろう。誰でも買えるとなると、いまさら自分がそれを読んだところでと思いがちだが、たとえば「沖縄の人しか読めない」となると、特別の感情が湧く。集まる人数は少なくても、購入してもらえる比率が高ければいいのである。

 

 そういう中で、書き手を限定するという手もあると思っている。ある大学の先生の本しか売っていない。その大学の生徒は関心を持つだろう。その大学の講座を聞きたいと思っている人も興味をそそられるに違いない。

 先生だけではない。学生が本を出すのもいい。大学同士で競うようになれば、面白い。大衆迎合の低俗な本なんか出したくないという先生は、自分のスタイルで、自分の考えを述べればいいのである。

 

 個人の全集を出してもらえるのは、多作で、著名な学者先生に限られるが、電子出版なら自分で全集のようなものをつくることも可能だ。

 現実的、私自身、若いビジネスパーソンと学生を対象に、ビジネスに関するさまざまなテーマについて、これまでに書いたもの、書きたいと思っていたものなど織り交ぜて、20冊程度を一度に電子出版することをある電子出版事業をおこなっている企業と約束した。HRTビジネス文庫という名前を考えている。

 自分だけの文庫もよいが、いろいろな人にテーマを示して書いてもらい、それを電子文庫にすることもできる。

 

 電子出版がどうなるか、関係者たちは疑心暗鬼である。しかし、これまでの出版界の常識や伝習にこだわらず、電子出版の特長を活かして、新しいことに挑戦してみるのは愉快なことのように思う。

 電子出版はまだまだ未熟である。だが、多くの可能性を持っている。出版界二どっぷり浸かっている人には、かえってブレイクスルーができないのかもしれない。イノベーションは、新参者にしかできないということは、しばしばあることである。

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 17:13
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電子出版に挑戦
電子出版に挑戦
                                  平田 周
 
 電子出版の呼び声の強さとは裏腹に、くすぶるだけで、なかなかぱっと燃え上がらない。その原因は、出版社が紙媒体の本との競合を恐れて及び腰だとか、著者の電子出版許諾を取る手間が大変だとTTいうことがある。多くの出版社が電子出版に関心を示しながらも、態度を決めかねている。
 一方、読者側にも盛り上がりを欠くという事情がある。若い世代は読書離れが顕著な一方、大人たちは、本をPCやスマフォなどスクリーン上で読むことに抵抗感がある。
 経済産業省は、次世代の成長産業と目して、多額の資金を使っているが、目立った成果は上がっていない。
 
 毎年、アジアで開催されてきたDiving Resort & Travel Expoがこのほど沖縄で初めて開催され、そのために沖縄のダイビングサイトを紹介するGREAT DIVE SITES ON OKINAWAという電子ブック(英語版)を作ってみた。元にしたのは、沖縄マリン出版が1998年に出した『沖縄ダイビングマップ』(絶版)というシリーズである。
 この本の復刻を望む声は大きく、外国人からは沖縄のダイビングサイトについての情報を欲しがっている。海外からの観光客誘致に力を入れる沖縄県は、ダイビングについてももっと人気を高めたいと思っている。
 それには電子出版がベストだと考えて、1年越しのアイデアを実行に移した。編集に結構時間をとられ、その他の準備もあって、このところブログも書けなかったが、どうやら恰好をつけたものが出来て、DRT EXPOに間に合わせることができた。
 沖縄eBooksという電子書店で販売しているが、今月29日末までは、【試し読み】で全部を見ることができる(それ以後は一部)。http://okinawa-ebook.wook.jp/detail.html?id=236024
 会場で、外国人来場者を中心に、デモを見せながら宣伝した。おかげで、3日間で上記のサイトへのアクセスは200件を超えた。
 実際に、電子ブックを作り、一般の人に説明することで、知識では得られない新しい着想と課題を考える機会になった。
 
 アメリカでは、すでに新刊図書の50%が電子出版になっている。書店が乏しい新興市場国では、携帯電話と同様、タブレットPCやスマフォで読める電子ブックが広まっている。
 わが国でも点数は何万点にもなっているようだが、世界に比べれば遅れている。それでも市場規模は1000億円を超えたとされる(コミックが中心)。技術的に標準規格がないための混乱もあるが、しばしば語られているような著作権問題以外に、こうあるべきだといういくつかの点をあげて考えてみたい。
 
■点数主義
 電子書店の宣伝を見ると、何万点用意といった、点数を誇るものが多いが、絶版になったり、手に入らないものが揃えられていて蔵書数が多いというのであればわかるが、ただ物量の多さをいうのであれば、さほど意味はないのではないか。
 実際に、出版社の許諾が得にくいことから、古くなった図書の電子化が多い。古くても、稀覯本であれば価値はあるが、読者はやはり新しいものを読みたい。
 
■ただのデジタル化では意味がない
 紙媒体の本をただデジタル化し、PCや携帯端末で読めるようにすることでユビキタス読書を実現するというのでは、書店が広く全国にあり、毎年、7万タイトルも新刊書が出されるわが国にあっては、あまり意味がないであろう。
 今回、作ったダイビングサイト・ガイドブックもそうだが、本のページの中や外の情報などにリンクする機能に多くの人が注目する。紙媒体には出来ないものである。音声読み替えもそうである。
 こうした機能があれば、学習書や子供の絵本など、いろいろな可能性が広がる。
 
■個性ある電子書店
 電子ブックを購入できる電子書店は、検索機能を活かして、どのような本でも揃う大型店をめざしがちである。しかし、特定のジャンルや、推薦図書を集めた個性ある電子書店が現れてしかるべきだと思う。自分が探している本が簡単に読めるという利便性もあるが、多くの人が求めているのは、何を読んだらよいかの選択ではないだろうか。
 物量ではなく、選択されたコンテンツに意味があるのではないか。私自身は、学生や若いビジネスマンが集まる電子書店や、日本の情報を求める外国人が集まる電子図書館のようなものをつくってみたい。

■外国人に電子ブックを売るところがない
 今回、外国人向けに英語版のダイビングサイト・ガイドブックをつくってみた。沖縄にある電子書店で販売することにしたのだが、日本語でしか説明がなく、日本語の読めない外国人には購入が無理なことがわかった。急きょ、英語で購入できるところを探したが、どこにもない。インドなど外国にはそのような書店があるが、売上金からこちらへの支払が正しく行われるかどうか信頼を確かめる方法がない。けっきょくアマゾンを使うしかないということになる。
 1つくらい、外国人が英語で本を買える電子書店があるべきだと思う。見方を変えれば、まだわが国で、外国人あるいは海外に、電子ブックを売るという考えがないということなのだ。
 
■技術がまだ定まっていない
 今回は、電子ブックのフォーマットとして広く採用されているEPUBではなく、PDFを採用した。作るのが簡単だが、スマフォなど小型の端末で読むには向かないという欠点がある。どのような端末でも画面に合わせて表示されると便利なのだが、それには制作に手間(費用)がかかる。
 読者のほうも、それぞれの電子書店が定める方式に従わなければならない(ビューワーのダウンロード)ので、面倒である。
 まだ、発展途上とは言え、ブックリーダーも含め、さまざまな端末があり、作成側にも、読者側にも不便が多い。
 
 従来の書籍であれば、買ってきて、読まずとも書棚に置いて置けば、形として見えるし、これは自分の所有物である。しかし、電子ブックは所有ができない。買い求めたとしても、利用権でしかない。なにか虚しい。
 しかし、このような欠点はあるものの、流通、とくにこれまでは障壁が大きかった海外市場を視野に入れた場合、電子出版の可能性は限りなく高い。紙媒体の本では、輸送に費用がかかり、書店に置いてもらうのも容易ではない。
 やはり電子ブックの魅力はある。 
 
 今回、電子ブックに広告を入れて、費用の一部をカバーした。本に広告を入れる習慣はない。本の品位を維持するためもあろうが、ライフの長い本は、雑誌と違い、広告の内容がタイムリー性とそぐわないということもあろう。しかし、電子ブックなら、いつでも広告を差し替えることが可能である。
 
 本の厚さは、2cm前後なのが普通である。ページ数にして200ページ程度。1冊の本を書くのに、10万字あまり。400字の原稿用紙にして300400枚である。これは、これだけの分量がなければ、著者が言いたいことが収まらないというわけではない。むしろ、言いたいことは2/3程度で終り、残りは埋め草で補っているのが普通である。速読の1つのコツは、この余剰の箇所を読まないことでもある。
 なぜこれだけの分量が要るかというと、背表紙を入れるためなのだ。いまは人気の新刊書は平積みで書店に並ぶが、本来は書棚に立てて売られるし、自宅の書棚に並べるにも背表紙が要る。
しかし、電子ブックにはその必要がない。ということは、厚さは無関係だし、読みやすさ、書きやすさからいえば、6080ページのほうがいいのである。
 
 いまの段階で、電子出版は、従来の書籍そのままデジタルで読ませるという概念から抜け出していない。電子ブックは、紙媒体の本とはまったく異なる存在であるというコンセプトに立たなければならないと思う。
それは編集だけではなく、書き手も考えなければならない。パソコンやスマフォで読むのに、なぜ縦書きにする必要があるのか。本と雑誌の記事との境界線は薄れる。ブログと本の違いは何なのか。
Wordで書いて、ウエブに載せておいて代金を取るというのは難しい(会員制というのはあり得る)。表紙があり、ISBNコードがついていれば、一応、本だというイメージになり、単品で売ることが可能になる。
 
  DRT EXPOの会場で、デモを見せながら、説明をする。おとんどの人が、ページめくりのスムーズさに感心し、魚名をクリックすると写真が出る(写真のあるページに飛ぶ)のに驚いたりしていた。子供たちに、キーボードを押させて操作させた。誰もが興味津々である。親たちは、目を細めながら、家に帰って一緒に読んでみようと話していた。
電子出版はまだまだ夜明け前である。
 
 
 
 
author:平田 周, category:情報・メディア, 08:07
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ビッグデータとスモールデータ
 

 

ビッグデータとスモールデータ

                    平田 周

 

 ITの世界では、クラウドの次はビッグデータが流行りのようである。インターネットその他にある膨大な情報の中から、コンピュータの並外れた検索機能を使って、ある傾向、特徴、法則といったものを見つけ出すという手法である。確かに、人間にはこのような機械的処理は労力的に不可能だ。そこで、私たちは、少しのデータや情報・知識をもとに仮説を立て、それを実証するという手段を選ぶ。

 

 ビッグデータの分析から、新しい事実が発見される可能性は高い。ただ落とし穴がなくはない。点の数が多くなればなるほど、隠れていた傾向が浮き上がってくるというメリットと同時に、それらを結んで浮き上がらせる形の選択が増えて、本当にそれが真実であるかどうか疑問を生じることが増える。

 加えて、ビッグデータの分析は誰もができるというものではない。

 

 学生の頃、地質学を学んでいた。地層がどのように連なり、褶曲しているかなどを調べるときに、手がかりになるのは、崖や谷底などにむき出しになっている岩石を手掛かりに、同じ地層の存在を確認ながら、それらを結んでどのような地質構造になっているかを考えるのである。しかし、日本では地表のほとんどは土で覆われ、植物が生えていて岩石がむき出しになっている場所(露頭という)はわずかである。

 本格的な地質調査では、ボーリングを打つ。1本のボーリングを打てばかなりの費用がかかるから、数はできるだけ少なくせねばならない。しかし、数多く打っても、同じ地層ばかりが出てきたのでは意味がない。そこをボーリングするかは、おおよそ地層がどのようになっているかを想像し、それを確かめるということになる。

 

 ビジネスの世界に入って、市場調査の仕事に携わった。知りたいことは覆い隠されている。その真実を知りたい。地質調査と同じだと思った。露頭を探す。アンケート調査というのは、ボーリングに似ていると思った。アンケートの質問をつくるには、多くの人はこう思っているのではないかという仮説が前提になる。

 わずかな情報を手掛かりに、全体あるいは真実はどうなっているのだろうと考えるのは、楽しいものである。自然科学において、そのような思索から多くの真実が発見された。社会科学においても新しい法則が立てられ、歴史など人文科学でも、過去の事実を明らかにすることにつながった。1つの小さな情報から想像を広げることには夢がある。

 その仕事をコンピュータがやってくれる。人間はとうてい敵わない。しかし、どこか味気ないところもある。いろいろ考えをめぐらせるから面白さがある。

 

 記事や文章を読むときには「行間を読め」といわれる。言葉になっていない裏に真実が隠されているというのだ。ビジネス誌について、海外のものと日本で出版されているものと比べると顕著な違いに気づく。わが国のものは毎号、特集を組む。特集にはかなりのページ数を割く。ところが外国の主要ビジネス誌The EconomistBloomberg Businessweekには特集というのはない。表紙を飾る絵は特集ではなく、あくまでCover storyでしかなく、ページ数は4、5ページしかない。Featuredというのがあり、これは多少長いこともあるが、日本でいう特集とは違う。

 なぜ違うのだろうか。日本の雑誌は特集にしないと売れないのだが、それは特集によって一気にそのテーマについての知識が得られるからである。よく知っている人でも、もしかして知らないことが書かれているかもしれないと思って読む。私が思うに、人が知っていることを自分が知らないことを日本人はいちばん恐れるからではないのか。日本人とは逆に、他人が知っていることを自分が知ってもさほど利にはならない。人が知らないことを知っていなければビジネスチャンスはないと考える。

 では、週刊誌からどのような情報を得るのか。定点観測情報である。ヴェトナムのハノイを初めて訪れて、このような町だったと報告したところで、それは過去とは違うし、これから日々変わっていく。そのような違いを知るには定点観測しかない。

The Economist誌の目次を眺めているとつくづくその思想に立って編集されていることを感じる。毎号、世界の各地で起きていることに焦点を当て、国際問題、経済・財政問題、技術問題などに分類して最新の情報を伝える。

いうなれば、レーダーを地球全体に向け、どこかに変化がないか監視しているかのようである。記者は、そのような変化については一切述べない。事実を書いているだけである。変化に気づくのはあくまで読者なのである。

 

 日本人が情報のストックを重視するとすれば、欧米人は情報のフローに目を向ける。週刊誌がこうだから、新聞やテレビのニュースなど同じような三方をしているのだと想像される。

 義務教育で、日本人は「考える力」が足りないと専門家は指摘する。しかし、大人が知識のストックを重視しているかぎりは、子供たちや若い人たちに「もっと考えて自分の意見を堂々と述べろ」と言ったところで、何も変わらないのではないか。情報の提供の仕方が知識偏重になっているのだから。

 

 小さな情報を手にして、この裏に、この先に何があるのだろうと考える楽しさを覚えさせなければならない。せっかくコンピュータがビッグデータから導き出した結論も、ああそうですかと受け取るのではなく、もっとわからない真実があるはずだと疑うところから新たな情報が見えてくるのではないだろうか。

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 11:27
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技術・市場調査について
 

技術・市場調査について

                    平田 周

 

 前回、経営コンサルティングの話をした時、かつてには技術・市場調査が中心にあった。しかし、90年代から、もっぱらコンサルタントの知識や個人能力がより重きをなしてきたといえる。このような変化は何がもたしたかは考えてみる価値がありそうだが、1つにはインターネットの普及が関係しているだろうと想像する。ネットで簡単に情報は得られる。

 

 中小企業診断士の試験には、技術・市場調査の技能は求められていない。グローバル人材に必要な資質やスキルの項目に「情報」という文字は出てこない。かつて企業の海外駐在員の最も重要な任務といえば、赴任地の情報を収集して本社に報告することだった。しかし、いまでは、「異文化理解」が最も重要な項目にあげられる。

 しかし、いくら膨大な量の情報がインターネットから得られるとはいっても、本当に重要なものがあるかということになると首をかしげる。技術・市場調査で最も重要な方法論である「インタビュー」の価値は、とうていネットでの情報収集の及ぶところではない。

 

 いまでは当たり前のエンジニアリングプラスチック(ポリアセタールやポリカーボネートなど)のほとんどがまだ開発中だった1960年代、アメリカの調査会社(コンサルティング会社)に200万円も出して実用化の可能性について調査を依頼した。届いた報告書は50名程度の人の名前があり、その人たちがエンジニアリングプラスチックの将来についてどう考えているかが書かれていた。その情報はほとんどがインタビューだった。普通なら、いくつかのインタビューを引用しながら、文献調査で得られた結果を主体に報告書をまとめるところである。

 しかし、当時、技術文献はあっても、信頼できる市場予測の資料はなかった。そこで、この調査を行った担当者は、エンジニアリングプラスチックについて技術面、応用面、市場性などについて情報と見識を持っていそうな技術者や大学教授、化学会社、自動車会会社の経営者、コンサルタントなど50名をリストし、その人たちにインタビューを行ったのである。

 この薄っぺらな報告書に、発注依頼者は不満だったが、「アメリカ・ヨーロッパで50人のこうした専門家に会う面倒と費用を考えたら安いものだ」というのは先方の意見だった。

 

 当時、アメリカでは、こうしたインタビューは、実際に会いにいくのではなく、電話で話を聞くのが普通だった。わが国と違い、広い国土のあちこちに散在さるアメリカの企業を数多く訪ねることは日数的にも費用的にも難しい。なぜそのような重要な話を電話で答えてくれるのか不思議だったが、調査でわかったことの一部を相手に教えなら新しい情報を聞き出していくという手法が多く用いられていた。このギブ&テイクの調査手法については、調査で知り得たことは外部に漏らしてはいけないという機密保持条項に違反するので、特別の例外として調査受注契約書に規定されていた。

 

 今日、わが国では、個人情報保護とかなんとかいって、担当者の名前を知ることさえ難しくなった。アメリカでは、秘書を持つことが許されなくなり、留守電の時代となって、電話で相手をつかまえることも容易ではない。「後から折り返し電話します」と録音されているが、返事が来ることは滅多にない。

 

 しかし、インタビューを中心とする技術・市場調査は、いまでも価値があるはずである。大がかりな調査をする必要はなく、知りたいテーマがあった時に、インターネット頼みをやめて、その問題について権威だと思う人に会って話を聞くのである。

 いま電話をしたり、会って話を聞いたりすることは敬遠されている。相手も忙しいことを理由になかなか会ってはくれない。しかし、誰もがやらなくなったから、かえって目新しく映るのか、案外にインタビューできるものである。

 会えても、機密的なことを簡単には教えてもらえないだろうと思う人は多い。情報を聞き出すのではなく、こちらの仮説的な考えについて相手の意見を尋ねるのである。いうなれば、判断力をお借りするわけである。

 

 相手が意図して嘘の意見をいったらどうするか。こちらの真剣さ、誠実さによって好印象を与えることのほか、最初の会話から相手の経験や立場などを理解し、自分がその人になったつもりで話を聞くというちょっと高度な技術も役立つ。これは解釈学という哲学を打ち立てたディルタイが唱えた「追体験」という手法から学んだ。これだと、相手がごまかしているかどうかを見抜くことができる。

 

 ソリューション営業というのが流行りになった。しかし、技術・市場調査を手法に取り入れたマーケティングを唱える人は見当たらない。

author:平田 周, category:情報・メディア, 07:19
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コラボレーションとチームワーク
 コラボレーションとチームワーク

                               平田 周

 

 米シスコシステムの幹部が書いた『コラボレーション革命』−あなたの組織の力を引き出す10のステップという本を読んだ(ロン・リッチ/カール・ウィージ著 シスコシステムズ合同会社 執行役員会訳/監修 日経BP社 2013/2)。コラボレーションの要領を書いたものだが、次の一文が気になった。

 「コラボレーションすることとコンセンサスを得ることはまったく別である。むしろコンセンサスはコラボレーショの妨げになる」

 

 1980年代後半、わが国は日の出の勢いだった。日本型経営が海外で関心を呼び、チームワークの成果に注目が集まった。それが今日の欧米でのコラボレーションへと発展したのだが、チームワークとコラボレーションでは本質的に違いがあることをこの一文は改めて気づかせてくれた。

 日本型のチームワークは「和」を何よりも尊重し、チームの均質化をめざすため、我を犠牲にせざるを得ない。これに対してコラボレーションでは、メンバーの個人的存在や個性を殺さずに、チームとしての結合を図る。これは共にチームの力を最大にすることが狙いだが、その本質はまったく違う。

 

 1990年代初め、アメリカではPCが企業全体に普及するようになり、電子メールの利用が盛んになった。これがアメリカの企業を大きく変える原動力になったと思う。

 それまでアメリカの企業では、社員同士が親しく付き合うことが禁止されていた。禁止しなくても、社員のほうでそれを敬遠していたのである。転職があたりまえのアメリカ企業では、それに伴う機密情報の流出を極端に恐れた。同じテーマに関係している研究者同士のミーティングすら行われなかった。必要な人にだけ書類で報告がなされていた。したがって、誰に報告する義務があるかは、辞令で明確に定められ、規定されている以外の人に情報を伝えることは違法であり、厳しく罰せられた。

 

ずいぶん古い話だが、出張してある研究テーマについて知りたいとアメリカの企業を訪問した場合、窓口になる担当者が、関連する研究者の個室に順番に案内してくれるのが常だった。関係者を集めて会議を開いてくれれば一度にすんで便利なのにと思ったが、そうすれば知るべき立場にない研究者に情報が渡ってしまい、転職してその情報が漏洩してしまうことを恐れたのである。おかげで、こちらのほうが1研究者よりも全体を理解できた。

 ほんとうに情報が競争相手に伝わることを恐れたというよりも、1つの習慣として根付いていたというべきかもしれない。会社の同僚同士が勤務時間外に交わるということも少なかった。営業部員が工場の知人に映画を身に行かないかと電話をしていたら、上司から何をしゃべったのだと疑いの目を向けられかねない。それならコミュニティの仲間と行ったほうが得策である。だから、コミュニティの中での個人的つき合いが盛んになる。暗いうちに家を出て、暗くなってから帰宅する日本のサラリーマンとは雲泥の差がある。

 

 電子メールの発達は、それまでの社内の情報伝達を根本的に変えることになった。マスキング技術により、情報にアクセスできる人物を簡単に制限できるようになった。それまでは、ある情報が知られないために、すべての情報を封鎖せざるを得なかった。営業が東京の展示会で新製品発表するというニュースさえも、工場の人にはわからない。そのような状況は、同期入社の社員が組織の垣根を越えて話ができるわが国の企業風土からは想像もつかないであろう。

 電子メールは、アメリカにおいて企業内の情報伝達を革命的に変えた。そしてそれが、わが国の「チームワーク」思想と結びついて、コラボレーションへと進化して行ったのである。

 

 アメリカでは、個人プレーが中心だった。ばらばらになっているものを結びつける上で、コンピュータや情報機器は大きな力を発揮する。しかし、わが国に特長的な「和」でかたまりをなす性質には、ネットワーク技術は効果的ではない。むしろ、電子メールは集団を分散させる働きをした。個人主義を強めたと言えるだろう。個として分散したものを再度ITが効率的なネットワークにできるのかどうか。日本型経営への回帰を求める声も多いが、流れを元に戻すことは難しいし、してはならないであろう。

 ではどうやって、個々人のネットワークをつくればよいか。ITがだめとなれば、何の力を使えるだろうか。

 

 上掲の本は、シスコシステムズの社員が書いただけにコラボレーションに必要なポストPCのテクノロジーを強調する。テクノロジーの4大トレンドは、モバイル、ソーシャル、ビジュアル、バーチャルであるとし、統合されたコラボレーションポートフォリオを構成するテクノロジーとして、次の7分野をあげる。

 

 IPコミュニケーション

 モバイルアプリケーション

 テレプレゼンス&ビデオ

 ウェブ会議

 メッセージング

 エンタープライズソーシャル・ソフトウエア

 カスタマーケア

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 08:47
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電子書店は新しいメディアになる
 

電子書店は新しいメディアになる

                         平田 周

 

 クラウド騒動がどうやら一段落の様子を見せている。ソフトウエアを購入し、自分が使うサーバーにインストールして利用すること以外は、どれも「クラウド」だということになりかねない。サービスを売るには、クラウドによる新方式だと謳えば有利になる。遠くから見ていると形は見えるるのだが、近づくと正体がわからなくなる。まさにクラウド(雲)たるゆえんである。

 

 クラウドに続いてバズワード(流行語)になっているのが「電子出版」である。リアルワールドの書店なら、全国、津津浦浦になければならないが(最近は、大型店の進出に押されて、書店はどんどん消えている)、バーチャル書店であれば、最強のところが1軒あれば済むはずだ。しかし、現実は、印刷会社から、コンピュータ機器メーカー、書店と入り乱れての乱戦模様である。Eコマースが騒がれ、ネット上にショッピングモールが乱立した90年代半ばを思い出す。けっきょくは楽天が一つ残った。

 Eコマースの店舗が、乱立からオンリーワンに淘汰されていく過程は興味深い。アマゾンのように、初期に徹底的な投資を行い、他社が参入できないよう頑強な障壁を作るという手と、便利さや知名度を武器に勝ち残っていくという方法がある。電子書籍販売は、どうやら後者のルートを進んでいるようだ。

 

 どこが、どういう形で勝ち進んでいくか、じっと様子を見ていたいが、まだ誰も言っていない(気づいていない?)ことがある。

 誰もが、電子書籍の在庫点数と購読形態にばかり注目しているが、電子書店が売るものは、本以外のものも可能である。そもそも実体(紙の厚さ)がない電子書籍の定義はどうなるのか。50ページ程度の冊子も電子書籍であろう。そうなれば、雑誌、新聞、情報一般との明確な境界はなくなる。1つのタイトルのもとに完結的に書かれているものという定義でよいのかどうか。福沢諭吉の『学問のすすめ』(180ページ程度のものが17巻)が連想される。1冊の単行本の各章を1冊の電子書籍とするほうが、ダウンロードには便利だし、読みやすい。

 話が逸れたが、電子書店ではさまざまな商品(サービスも含め)を売ることができる。事実、アマゾンでは、本意外の商品を数多く販売している。電子書店では、集まる人によって、売るものは多様な選択が可能である。

 

 アマゾンは、2つの間違いをしているように思う(ビジネスとしての成功は別にして)。1つは、書籍には関係のない日用品を販売したことであり、もう1つはアマゾンのサイトがフェイスブックのような人が集まる場所にならなかったことだ。

 電子書店が、本好き、情報志向、知識欲といったキーワードで括られる知性派のソーシャル・ネットワークになるのではないか。多くの人に情報を伝達できれば、それは新たなメディアになる。

 

 いま外国人が日本で出版された本や研究論文を英語で読める書店を作る準備を進めている。書籍を販売するだけでなく、外国人が日本の情報を求めて集まってくれば、面白い場所に成長していくだろう。テーマごとのディスカッションの部屋も生まれるかもしれない。とにかく、日本のことを知りたければ、ここにいらっしゃいと言える場所になればいい。情報だけでなく、翻訳や調査などさまざまなサービスを提供することもできよう。

author:平田 周, category:情報・メディア, 08:23
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電子出版の貧困なコンセプト
 

電子出版の貧困なコンセプト

                       平田 周

 

 電子出版が大賑わいである。7月4日〜6日まで東京ビッグサイトで開かれた「国際電子出版EXPO」も連日盛況だった。しかし、騒がれるわりに、明確な目標も、技術らしい技術もないことが感じられる。

 

 電子出版にかかわるビジネスには、活字の文章をデジタル化するスキャニング技術(装置)から、電子書籍を読む装置(PCを含む)まであり、最も中心的な存在が電子書籍を売る「電子書店」である。

 これには、本を売るのが専門の紀伊国屋書店から、書籍取次ぎのトーハン、大日本印刷、電子機器の富士通、さらにはコンビニのセブンイレブン、モールの楽天などの大手企業に交じって、数多くの会社が電子書店を開いている。まさに乱戦模様だが、手探り状況でもある。誰も確かな市場の実感を持っているわけではない。
 この現象は、Eコマースが話題になり始めた90年代半ばのことを思い出させる。当時、電子ショッピングモールが至るところに現れた。銀行さえもが始めたのである。しかし、結局、楽天が残るだけになった。

Eコマースは一人勝ちの世界なのだ。店舗であれば、各地に展開されるが、電子であれば、地理的制約はない。1つ便利で、著名なものがあれば、他は不用になる。電子書店も、いずれ一人占めになってしまうに違いない。ビジネスモデルの良さと、リスクを恐れぬ挑戦しかない。

 

しかし、電子出版には問題も多い。十分な需要が望めるのかという問題の対極に、出版社の抵抗(躊躇)がある。出版社は、著作権を盾に、電子書籍として売ることに積極的、協力的ではない。自社の虎の子の商品である紙媒体の書籍が食われてしまうことを恐れるからだ。

電子出版関係者は誰もが、著作権問題で頭を痛める。この問題については、不思議に著者不在なのである。本来は、出版社は出版権があるだけで、著作権は著者にあるのが原則だが、わが国ではこれが混同されている。著者と出版社が結ぶ出版契約では、一方的に著作権が両社に帰属することにされてしまう。欧米では著者のみである。

電子出版がこのような契約に含まれているかーどうかは明確ではないが、最近の契約書には、「電子出版を含む」とされているものが多くなっている。

 

著作権以外では、どの装置やツールによって読むかが問題になっている。PCで読む以外に、タブレット、スマートフォン、それにいくつも出ているブックリーダーがある。装置の機種が多いだけならテレビと同じだが、それぞれに異なる電子書籍のフォーマットが使われており、データは1種類でだはすまないから厄介である。将来は統一に向かうだろうが、いまのところ各社それぞれ自分のものを主流にしたいという思いがあるから統合整理は難しい。

だが、そのような問題以前に、電子出版事業に確かなコンセプトやミッションがない。時流だから遅れまいと手を出している程度である。紙媒体の本は近い将来、電子書籍に取って替わられるという確信はない。膨大な点数の本があれば、読書欲を高めるのだろうか。むしろ逆ではないか。本が手に入りにくいから本を買いたくなる面もある。

 

しかし、最も根本的なことは、果たしてどれだけ電子書籍の読者が増える可能性があるのかという問題である。従来の紙媒体の書籍に慣れ親しんできた世代にとっては、パソコン以上に抵抗感がある。

楽天もブックリーダーKoboを発売して、電子出版市場に参入してきた。通勤電車の中でブックリーダーを片手に本を読む人の姿が当たり前になる時代が来るのだろうか。現在、世界のブックリーダーの市場は、190カ国、900万人といわれる。

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 18:05
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チャンスを逃さない方法
 

チャンスを逃さない方法

                                                 平田 周

 

 縁もゆかりもなかった沖縄の地で、本当に誰一人知人もない状況から、新しいビジネス実験を試みてようと考えた。今年2月に初めて沖縄の土を踏んだが、それから約半年、沖縄に関わりのある有識者や要人、数十人に会い、親しくなった。

 最初にパーティで会って名刺交換し、その中のこれはと思う数人に個別に会い、その人たちとの会話の中で、会うべきだと思う人の名前と所属を聞き、すぐさまその人に面会を申し入れる。紹介は頼まない。頼むと相手が躊躇する場合もあるし、その人の紹介内容で相手に誤解や先入観を与えてしまう恐れがあるからだ。「あなたからお名前を聞いたと言っていいですか」とだけ了解をとっておく。

 これでほぼ100%会え、話が聞けた。その人たちからも役に立ちそうな人の名前を聞き出す。短期間で芋づる式に人脈が広がる。会って話を聞く時の要領を、ある地銀の機関誌に書いた。

 

 ビジネスとは、チャンスとの遭遇です。まずチャンスに出会わなければ話になりません。では、そういうチャンスをどうすれば捉えることができるか、秘伝をお教えしましょう。

 チャンスを広げるには、網を大きくしておくことだというのは正しいでしょう。それにはさまざまな情報が手に入るネットワークが必要だとか、広い人脈を作ることが役立つとか教えられます。しかし、いくら網を大きくしても、案外効果がないものです。大きな網は手に入れにくいし、扱いにくいこともあります。

すぐそばにすばらしいチャンスがあるのに気づかないことが多いものです。新聞や雑誌にもたくさんヒントがありますし、出会う人の誰もがすばらしいチャンスの提供者です。

 気づかないのは、関心がないか、特定の問題に意識を集中しすぎているからです。まず好奇心にあふれていなければなりません。どのようなことにも、「なぜだろう」と自問自答する習慣が必要です。反対に、自分がいまやっている仕事や抱えている問題だけを意識していれば、せっかくの価値ある情報も目や耳には入りません。入ったとしても、脳は無視します。

 ある情報を聞いて、これはものになる直感した経験があると思います。それは、こういうものがあればいいな、どこかにそれがないかと前から探していたからです。この問題をどうやって解決しようと考えるのではなく、問題解決の設計図(仮説)をあらかじめ持っていれば、情報の中から価値あるもの、使えるものが瞬時に浮かび上がってきます。

もっとわかりやすくいえば、ジグソーパズルのようなものです。完成すればどのような絵になるか初めに知っています。あるピースを見て、ここに入れればいいのだとヒラメキます。私は、本や新聞を読み、人の話を聞いている時、いつも欲しいピースがないかどうか注意を集中させます。

この方法なら、広い人脈は必要ありません。毎日会う人たちが話す中にも問題を解決するピースがありますし、新聞や雑誌を読んでいる時、これだとひらめいて行き詰まりを打開できたこともります。そういうピースを持っていそうな人を探します。

では、どのようにしてその感性を身につけることができるでしょう。全体を見渡す広い視野と、どうすれば問題を解決できるか神経を集中させてチャンスを待てばよいのです。私は、困難な問題に直面した時、007のジェームス・ボンドになります。絶体絶命の立場になっても、なんとかなるさと楽観的に気持ちを保ちながら、一方で、どこかに脱出口があるはずだと必死に周囲を見渡します。全体をボーと見渡す余裕と瞬時に情報を掴む注意力を同時に持つことです。

 

人の話を聞きながら、一生懸命ノートをとる人がいる。私はノートをとるのがまことに苦手である。書くのは、固有名詞と数字だけ。相手の話を理解するよりも、相手から情報を引き出すことに夢中になるので、筆記する余裕がないのだ。

 

 このようにヒントや閃きを得るのであれば、相手が人である必要はない。本や雑誌にもたくさんの情報がある。これらも会って話を聞いているのと変わらない。ただ質問が出来ない。一方通行である。そこで、これらがすべて自分からの問いに対する答えだと思って読むことにしている。ほとんどは無駄だが、中に閃きを与えてくれるものが必ずある。アポをとる必要はないし、ノートも要らない。もっとこのことを聞きたいと思えば、会って欲しいと頼む。忙しいからと断る人が多いが、中には会えることもある。沖縄での価値ある人脈はこの手でも広がった。

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 04:18
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コンピュータの下請け業務
 コンピュータの下請け業務

                         平田 周

 

 NHK特集 COMPUTER 最強×最速=未来という番組は、世界最速を誇るわが国のスーパーコンピュータ「京」の紹介とその応用の未来を考える内容だったが、人間とコンピュータのコラボレーションの必要性が考え方のベースになっている。人間の脳とコンピュータの共生である。

 コンピュータの計算能力は驚異的であるが、人のような価値はわからない。

 

 2020年を予想したエピソードに、アニメで若い二人の女の子を登場させ、コーヒーショップで会話するシーンを用意している。ここでちょっと驚いたのは、ヒロコという女性が待っている間、コンピュータの下請けの仕事をしているという設定である。

 その下請け作業が、なんとコンピュータが翻訳をするのに、翻訳しやすい日本語に書き直すというバイト仕事になっている。

 これって、いま私が沖縄のプロジェクト「日本情報発信拠点」で、政府刊行物や学界研究論文を大量に英訳するのに用いようとしている新翻訳システムの考え方と同じである。2020年ではない。もう“今”のことだ。そうか、数年、先を行っているのか。

 しかし、この考えは、もう四半世紀も前に私が着想したものだ。1984年に、東洋経済新報社から『日本語で英語を書く』という本を出した。当時は、まだコンピュータによる機械翻訳プログラムは開発途上だった。

 

 この本を書くにあたって、ある実験をした。英文科の女子大生数名を2つのグループに分け、1つのグループには、海外から私に届いた英文の手紙を高校生になったつもりで日本語に直訳してもらい、一方のグループには、その直訳日本語を英語に訳してもらったのである。その結果、かなり原文の英語に近いものになった。とくに難しそうな単語は、英語で残しておけば、いっそう原文に近いものになった。

 英語にしたい日本語原稿を、そうした英語的な日本語に直しておけばいいのである。

 

 当時、まだ機械翻訳ソフトは出来ていなかったが、情報技術革新が進む中、わが国から多くの調査団がアメリカを訪問していた。頼まれて、そうした調査団の訪問先をアレンジしたり、通訳もしたりした。

 そのとき、団長の挨拶を通訳するのに、こういうふうに言えば、通訳しやすいし、聞いている外国人も理解しやすいのになあと感じることがしばしばだった。

 英語がしゃべれなくても、英語的なセンスの日本語を話せば、通訳はそのまま英語にできる。通訳が意訳して英語にするのでは、スピーチする人のほんとうの言葉ではない。聞いているほうも、日本語のセンスでは感銘を受けない。スピーチをするほどの英語力を身につけるのは大変だが、英語的な日本語、英語発想の日本語であれば、ちょっとコツを覚えれば簡単にできるはずだ。

 

 いまでも、政治家たちが海外で挨拶やスピーチをする風景をよくテレビで見る。聴衆にはわからない日本語の原稿を下を向いたままで棒読みしている。本当かどうか知らないが、昔、大勢の人が集まる国際会議に出席した大物政治家は、壇上に立ち「みなさん、どうかよろしく」と大声で挨拶し、後は通訳が滔々としたスピーチを行い、聴衆を驚かせたとにほんごいうエピソードがある。

 上述の拙書を出したとき、NHKに行き、海外でエライ人たちが挨拶する機会が増えるから、英語にしやすい、外国人にわかりやすい日本語の表現法を教える講座を設けたらよいのではと提案した。英語教育部門では、それは日本語教育の担当だといわれ、日本語教育部門に行くとそれは英語の問題だと断られた。国立国語研究所でも、同様の反応だった。

 

 80年代半ばから、機械翻訳ソフトの開発が盛んになり、製品化されて発売された。私は、オリジナルの日本語を英語に訳しやすいようにしておかなければ、実用にならないと開発者に説いたが、聞き入れられなかった。わかりにくい日本語を英語にするアルゴリズムの開発に夢中だったし、原稿の日本語を直すのではあまりに安直すぎると思われた。

 しかし、それから四半世紀が過ぎた。未だ誤訳率は40パーセントもある。

文法解析からの翻訳は、すでに諦められているといっていい。コンピュータの得意である記憶と検索を生かした「コーパス」(日本文と英文の対訳と)という考えに舵はきられた。

 

 機械翻訳ソフトが出現する前に私が行った思考実験はこうだった。翻訳ソフトが完成して、コンピュータが大量の翻訳を行うようになった。しかし、

誤訳率ゼロにするのは不可能である。その間違いを誰が行うのか。大量に訳出された英文をチェックするバイリンガルの人材は限られるし、コンピュータが訳した下手な英語を直す仕事を好むわけがない。

 その処理工程の最終のところを解決しておかなければ、いくらすばらしい翻訳アルゴリズムを開発しても実用にはならないだろう。

 機械翻訳ソフトの開発者は、大きな間違いをした。コンピュータを翻訳者にしようと思ったのである。いうなれば、産業用ロボットで、完全自動工場を作ろうと思ったのに似ている。80年代、日本の産業ロボットで遅れをとったアメリカは、完全自動工場で逆転を狙った。IBMはそのシステム開発力で実現できると考えた。しかし、いま世界中見渡しても、完全自動工場は存在しない。人が介在しないシステムはありえないといっていいだろう。

 書き出しのNHKの特集番組は、どんなに強力・高速のスーパーコンピュータであっても、人とのコラボレーションがなければ仕事ができないということをテーマにしている。

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 08:01
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経済産業省が始めたCool Japan Daily
 経済産業省が始めたCool Japan Daily

                                                              平田 周

 

 以前より、日本からの情報発信が少ないという海外からの批判は強い。とりわけ福島第一原発事故については、諸国から情報がないと強いブーイングが投げかけられた。このことについては、すでに幾度かこのブログで問題にした。

 

 日本情報発信基地を沖縄につくろうと、今年初めから動き始めた。その矢先、経済産業省が、クール・ジャパン情報のポータルサイト「Cool Japan Daily」を今年1月から開始していることを知った。http://cooljapandaily.jp/

 クール・ジャパンの魅力をさまざまな観点から世界に向けて紹介するための施策の一環だとしている。1月10日の同省のニュースリリースには、こう書かれている。

 「ポータルサイト「Cool Japan Daily」では、政府によるクール・ジャパン戦略の基本方針や、現在進行中の国内外におけるプロジェクトの紹介を通して、クール・ジャパンの取り組みや、クール・ジャパンに関する最新ニュースを知ることができます。さらに、広く世界へ向けて日本文化の良さを伝えるため、「食」「ファッション」「デザイン」「コンテンツ」などを始めとした各界を代表する著名人、文化人が、独自の視点から見たリアルなクール・ジャパン情報を発信します」

 

 しかし、このサイトを見て驚いた。

 ヘッドは COOL JAPAN DAILYである。その下に Web portal for the news, trends and opinions about Japanという説明があり、次にCONTRIBUTORSThe people who are passionate about spreading “Cool Japan”(クール・ジャパンの伝道師たち)というキャプションが続く。

 ところが“伝道師”たちが寄せる記事は、なんと日本語である。最後に英語の簡単な要約がついているものもあるが、これでは内容は理解できない。記事のほとんどは、“クール・ジャパン”らしく写真だから英語は必要ないとわけか。しかし、写真に英語の説明はない。

これでは外国人が読むわけはない。Cool Japanは、アニメやコミックなどイメージだから、英語は不要というのだろうか。だが、日本語では長い説明やメッセージが書かれている。

 

 経済産業省商務政策クリエイティブ産業課が担当している。たしかに、わが国のアニメやマンガ、あるいはファッション、食べ物などが海外で高い人気があり、ソフトの時代の産業としてその価値は認める。経済産業省がこれに注目することは間違っていない。日本の情報を広く海外に発信することは国としてやらねばならないことである。

 だが、日本のことを知りたければ日本語を覚えろというのでは、英語が国際標準言語になったいま、通用するわけはない。海外向けの情報がなぜ日本語なのだろうか。

 

 経済産業省の担当者に電話してみた。contributorsにまかせている(英語にするかどうかなど)という返事だった。

 いうなれば、Cool Japan Dailyは、国が始めたSNS(ソーシャル・ネットワーク)ということか。スペース貸しであって、公序良俗に反しないかぎり、どう使われようが問題にしない。ただし、どうすればcontributorになれるのかは明確ではない。説明には、著名人、文化人によるブログだとし、20人の人の名前が上述の同省ニュースリリースに載っている。アイデンティティが明確であれば、誰でもcontributorになれるという担当者の話だった。

 

 外国人に読まれているのだろうかと尋ねた。ぼつぼつということで、このサイトを外国人が知るのは、contributorsのサイトのリンクからだろうという。経済産業省として海外にPRしているわけではない。

 簡単なポータルサイトを作るだけなら大した費用ではない。税金のムダ使いにはならない。しかし、いかにも情けない。これが国の行う海外に向けての情報発信なのか。

とはいえ、これは経済産業省の担当者が思いつきで始めたものではない。資生堂名誉会長福原義春氏を座長とする「クール・ジャパン官民有識者会議」で数回にわたり開かれた調査会の報告書がベースになっているのだ。

 

author:平田 周, category:情報・メディア, 06:25
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