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格差の拡大

格差の拡大
                                    平田 周

 

 トマ・ピケティの『21世紀の資本』がなぜこれほど人々の関心を呼ぶのか。いろいろ理由は考えられるが、「格差の拡大」が一つのキーワードになっていることは間違いないであろう。資本主義の本質は、資産で利益を得る人と、労働により所得を得る人との格差を拡大させる本質を持つと結論している。だからどうなのだと言いたいところだが、格差の拡大は資本主義に限ったものなのかどうか。

 

 私たちはエントロピーについて習った。自然な状態では、秩序が崩壊するにつれすべてが均一なものになっていく。冷たい水と熱いお湯を混ぜれば自然に温度は均一化していく。外部からの影響がないかぎり、風呂の湯が熱湯と水に分離することはない。

 しかし、経済に限らず、学校で、優秀な生徒と出来ない生徒に次第に二分化していくのがむしろ自然ではないか。確かに、試験の結果をグラフにすれば正規分布になるだろう。それは所得についても同様ではないか。いやそうでもないかもしれない。日本人の貯蓄高の金額分布を見ると、正規分布にはなっていない。きわめてフラットに分布している。4000万円以上の貯蓄を持つ人の数は20%もあるが、300万円あたりに別の山ができているわけではない。高額貯蓄者の割合は年々減少傾向にある(退職金が減ったためか)。

 しかし、読書が好きな人と本を読まない人、海外に強い関心のある人と国内志向の人、出世を求める人と平凡でも気楽に生きたいという人。定量的にはどうかわからないが、感覚的には二分化し、その違いが次第に顕著になりつつあるという気がしないではない。

 熱力学の法則とは違い、社会現象では二分化するほうが自然なのではないかと思われる。それは外からの力のせいではない。人間が持っている本姓がなせることである。学校の先生は、生徒の誰もがいい成績をとってほしいと思っている。

 

 『日本語の科学が世界を変えるか』(松尾義之著 筑摩書房 2015/1)を読んだ。とてもよく書けている本だ。面白い。日本人科学者のノーベル賞受賞が続いているが、これは英語ではなく、日本語で科学の論考をするからではないかというのが主旨である。科学の専門用語を、わが国ほど自国語(漢語)に訳した国はほかにない。科学にかぎらず、あらゆる学問で使われる英語の専門用語を漢字に翻訳した。江戸時代から明治時代にかけて、先人たちがなし遂げたものである。驚くべきことだ。

 杉田玄白らは、『解体新書』(1774年)の中で、すでに「神経」「軟骨」「動脈」といった日本語をつくっている。cellに「細胞」という訳語を使ったのは宇田川榕庵で、1833年のことだという。驚くほかない。もしこれを今風に、カタカナ語で「セル」としていたら、明確なイメージが湧くだろうか。「細胞」だから独特のイメージを描くことができる。

 

 この本の中で、松尾氏は、日本人科学者の思考の基礎に、「中間」という日本人特有の考え方があるのではないかと指摘する。日本人は、良いか悪いか、そのいずれかに決めつけることをためらう。良いものにも悪い面があり、悪いことでもどこかに良い点もみられる。ところが、キリスト教的な西欧の思想は、善悪など、ものごとをはっきりと二分化して考える傾向が強い。科学の研究でも、日本人の発見や発明には、そうした西欧とは異なるものがあり、それが日本人科学者ならではの業績を生んでいるのではないか。松尾氏の考えである。

 

 かつてわが国経済の高度成長期、1億層中産階級と言われた。そしていま、貧富の格差が広がっている。しかし、欧米に比較すれば、その格差の開きは小さい。意識の上で、とうてい手の届かぬ貴族や大富豪といったイメージはない。総理大臣だからといって、さして別格の人だとは思っていない。欧米人は、ホームレスの人が新聞を読んでいるのを見て驚いたという話を聞いたことがある。

 それはいまに始まったことではなく、武士の時代でも、農民たちは身分制度や権力に甘んじてはいたが、心の中では武士をさほど別格と感じていたわけではないように思われる。そうなったのは、たまたま運によるものだという考えはいまもあるような気がする。農民の子も寺子屋で勉強したし、明治になってからは学問に秀でていれば身分に関係なく政府の重職につくことができた。

 「出る杭は打たれる」が個性を潰すと悪い面が強調されるが、その力が平等を生んでいるのかもしれない。

 

 日本人が欧米のような二分化の思想に傾いていくのか。アメリカのように政権を対等で争う二大政党が望ましいと言われても、日本には根づかない。それには、松尾氏が指摘するように、中間を好む日本人の性格があるからかもしれない。格差が一時的に現れても、それを崩そうとする自然の流れがある。それは思想でも、制度でもなく、日本人のDNAに仕込まれた本質なのではないか。

 

author:平田 周, category:思想, 05:04
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