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2人の技術者

2人の技術者

                    平田 周

 

 テレビ番組「プロフェショナル」で、市原英樹という人のことを知った。大成建設に勤める技術者である。東京の赤坂プリンスホテルがいつのまにか消えた。作業のための防護壁を作るでもなく、粉じんも騒音もない。まるで静かに地中に沈んでいくかのようだった。

 このまったく新しい解体の工法を考え出したのが、市原氏だという。世界が驚いたという斬新な方法だが、市原氏は化学が専門の人で、無害の建築用接着剤の開発などを行っていた。あるとき、新設されたビル解体の工法開発グループの責任者に抜擢された。高度経済成長時代に建てられた多くの高層ビルが寿命期を迎える。都会に立つビルの解体をいかにして周囲に迷惑をかけず、短期間に、低コストで実現できるかが課題だった。

 誰も想像しないような方法だった。世界が、日本人でなければできないものだと賞賛した。しかし、成功させるには、いろいろな試行錯誤が必要だった。問題が起きるたびに仲間と知恵を絞った。採算がとれるようコストも削減しなければならない。内外から多くの賞をもらい、これからの時代に役立つ。

 

 この人のことを知って、すぐにノーベル賞をもらった中村修二氏のことを思った。面識はないが、1990年代半ば、ユニークな経営や技術の中小企業を紹介する仕事の中で、日亜化学を知った。青色発光ダイオードの技術開発の挑戦に可能性を見た。四国なので訪ねていくわけにもいかず、電話で中村氏と話した。素朴に質問に答えてもらったのが印象に残っている。いまは、同氏の言動にいろいろと批判が向けられているが。当時、青色発光ダイオードの研究では、加工が難しい窒化ガリウムは将来性がないと学会でも除け者扱いだった。

 しかし、見事製品化され、ノーベル賞受賞にまで至ったのだが、中村氏は日亜化学を相手どり、発明・開発への貢献に対する報酬を要求する裁判を起こした。結果的に8億円が支払われることになったが、会社という組織の中にあって個人の功績を主張する中村氏の言動には批判も多い。

 

 市原氏は、謙虚に(本心であろうが)、自分一人の功績ではない。みんなが力を合わせた結果であり、会社という場があってはじめて成し得たことだと語る。与えられた仕事を黙々とこなしながら、問題解決に力を注ぎ、たまたまいい結果が生まれたにすぎないという考えである。定年退職とともに、自分の務めは終わったという気持ちで満たされるに違いない。

 一方の中村氏はいまなお日本の企業だけでなく、日本という国が研究者に報いないことを批判している。自分のためだけでなく、研究者のことを思ってのことであろうが、満ち足りた気分にはなりきれていない。

 

 建築という総合力が求められる仕事と、黙々と実験に明け暮れる研究室の仕事を同様に比較することはできないが、日本人の感情としては、市原氏の態度を好むだろうと思う。世界の奇跡ともいえる日本産業の発展は、市原型の努力の集積によるものというべきであろう。

 しかし、会社のために滅私奉公のスタイルは薄れつつあるのも事実だ。自分の力で成功や幸福をつかみたいという考え方が強くなっている。市原氏のような生き方がなお日本の産業界に遺伝子として残っているのか。それともアメリカ型の個人主義に変化していくのか。まだ判断がつかないでいる。

 

 

author:平田 周, category:社会, 06:32
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